(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝アークエンジェル・プロトコル〟にみるSFとハードボイルドの相性

アメリカ私立探偵作家クラブ賞*1受賞という鳴り物の入ったSFミステリ。本作が受賞したのは正賞にあたる最優秀長篇賞ではなく格落ちのペイパーバック賞だけれど、過去の受賞者にはウォーレン・マーフィ、アール・W・エマースン、ロブ・カントナー、ハーラン・コーベン、ローラ・リップマンらが名を連ねているのだから、まったく権威がないともいえない。
さてお話。舞台となる2076年のニューヨークは、戦争禍で荒廃し、リンクという電脳空間で情報が流通するサイバー社会となっている。科学が信頼を失い、宗教化の波が押し寄せてくる中、リンク上に天使が現れ、人々を導こうとしている。主人公は、友人の起こした事件の連帯責任で警察を首になり、しがない探偵稼業で食いつないでいるディードリ。そんな彼女のもとに、分署の警部補を名乗る金髪のハンサムな青年マイケルが現れる。彼は、リンク上に出現した天使は偽物で、それを暴いてほしい、と依頼する。胡散臭いものを感じたディードリだったが、失職以来断絶されていたリンクとの接続が回復できるという願ってもない見返りを提示され、引き受けることに。
主人公の性別をひっくりかえし、汚い事務所、冴えない探偵というハードボイルドのプロトタイプを引っ張り出してくる冒頭で、早くもひいてしまった。ハヤカワ文庫の背中が青かったので、SF的にもっととんがった作品かも、という淡い期待もあったのだが、こういう形でハードボイドの形骸を引き摺るコンサバさは、はっきり言ってダサい。
それに、カバーイラストの雰囲気からしてすでに嫌な予感があったけど、案の定、美少年萌え系のテイストがかなり濃厚に漂っている。なんだかなぁ。さらに作者のライダ・モアハウス自身を投影しているのだろうか、主人公のばりばりのフェミニズムも、何でいまさら、という感じだ。
致命的なのはプロットで、SF的なお化粧に忙しかったのか、ミステリとしてやけに平板で情けない。最後は、なんとファンタジイの世界にイッてしまうのだが、それが良かったのか、悪かったのか、なんとも判断がつかない終わり方だ。
SFとハードボイルドのジャンルミックスは、昔から中途半端な作品が多い。(リチャード・モーガンの〝オルタード・カーボン〟は未読だが)これまで紹介されたもので、成功しているのは、ジョージ・アレック・エフィンジャーの〝重力が衰えるとき〟くらいではないか。マリード・シリーズの3作*2は、痛快にぶっ飛んでいて、愉快だった。ミステリを引き摺らないというのが、案外成功の秘訣のような気がするが、どうだろうか。

*1:俗にいう〝シェイマス賞〟。81年に創立されたPrivate Eye Writers of America(PWA)が、その年のもっとも優れた私立探偵小説に授ける賞。会員の投票で決まり、毎年バウチャーコンの中でその授与式が行われる。

*2:『重力が衰えるとき』 (When Gravity Fails) (1987年):浅倉久志 訳/ハヤカワ文庫SF、『太陽の炎』 (A Fire in the Sun) (1989年):浅倉久志 訳/ハヤカワ文庫SF、『電脳砂漠』 (The Exile Kiss) (1991年):浅倉久志 訳/ハヤカワ文庫SF