(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

「シャープさんフラットさん(ブラックチーム)」NYLON100℃ 32th session 15 years anniversary

昭和者にとって「シャープさんフラットさん」といえば、その昔、NHK総合テレビで放送されていた音楽クイズ番組のことである。さっきWikipediaで調べてみたら、昭和37年4月6日から昭和45年3月30日にかけて放映されたとある。うーん、かなりの長寿番組だったのですねぇ。そういや、わが家の茶の間でも、金曜日の夜7時半はいつもこの番組を見ていた記憶がある。そのクイズ番組とはまったく関係のない、同じタイトルを付したケラの新作である。
冒頭に、バスター・キートンの映画のハイライトを次々と見せる映像があって、そこに主人公の独白がかぶさる。キートンの不遇な人生に自分を重ね、劇作家の辻煙(大倉孝ニ)が語るのは、自身の数奇な半生だ。アル中の母(犬山イヌ子)、そして優しいが頼りにならない父親(マギー)。そんな両親にも早く死なれ、孤独な少年時代を過ごした彼は、小劇場系の劇団を立ち上げ、座付き作家の座に収まった。彼の書くコメディは、世間からは理解されてるといえないものの、高度成長期のバブルや演劇ブームの追い風を受けてか、人気を集めるに至っている。
しかし、スランプに陥った彼は、自分の脚本、つまりは自ら生み出す笑いに自信を持てなくなっている。同棲しているガールフレンドの美果(小池栄子)ともいざこざを起こし、よりによって顔に怪我を負わせてしまった。どん底の彼は、劇団の公演に穴を空けてしまい、とある療養所へと逃げ込む。しかし、そこにも現実は追いかけてくる。最後通牒を突きつけにやってくるかつての仲間たち、一方亡き父親はなぜか彼の夢の中に出てきて、あれこれ話しかけてくる。否応なく周囲や世間とのズレを意識させられ、孤立感きわまっていくある日、彼のユーモア感覚を解する人物が目の前に現われる。
公演には2バージョンあって、こちらは大倉孝ニが主役を演じるブラックチームの方。今回の新作は自伝の要素が色濃いと事前に喧伝されていたが、黒というそのネーミングからも想像がつくように、ブラックチームは根暗のイメージが強い大倉を中心に、作者すなわちケラのダークサイドを描くバージョンということになるだろうか。
両バージョンの比較はホワイトチームを観てからのこととして、全体について言えば驚くほどにストレートな作りになっていると思う。若干の時系列のずらしはあるが、バブルという時代の空気やサナトリウムの人間模様、親子や夫婦という家族関係のドラマなど、いくつもの要素がバランスよく配置されていて、その中心に今回のメインテーマでもある作家の苦悩がある。
自らを客観的に眺めることほど至難なことはないが、劇作家にしてもそれは同じで、成功を手にしていながら、自分の価値観が周囲や一般大衆とズレているのではないかという思いに、主人公は終始悩まされ続ける。それがやがては本人の心を蝕んでいくのだが、作家(すなわちケラ)自身の悲痛な叫びがまるで聞こえてくるかのように、それが切実に描かれる。
そして、その切実さゆえのことだろうか、今回は自分を客観視する距離感に狂いがあるように思える。世の中のものすべてを笑うという主人公の生き方を肯定的に捉えるなら、さらに一歩踏み込んで、自身を痛烈に笑うスタンスがあってもいいだろう。ケラだったら、自己憐憫に陥ることなく、それが出来るのではないかと思うのだが。
想像するに、ケラは自らの救済のために本作を書いたのではないか。ファンとしてそれはそれでアリだとは思うが、そういう作品を舞台にあげるには、やはり大きな課題が付きまとうように思う。曲がりなりにも(失礼)、ケラが小劇場系の巨匠であることに間違いはないのだから。もうちょっとクールでいてほしい、というか。ナイロンの作品にしては、珍しく素直に楽しめなかった所以である。(150分)

■データ
正式ちらしをまだ見ていなかった3日めのソワレ/下北沢本多劇場
9・16〜10・19
作・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演(ブラックチーム)/大倉孝二犬山イヌコみのすけ峯村リエ、長田奈麻、植木夏十喜安浩平、大山鎬則、廻飛雄、柚木幹斗、三宅弘城小池栄子、坂井真紀、住田隆、マギー