(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

「その夜の侍」The Shampoo Hat第21回公演

2006年6月の「事件」以降のわずか3本しか観ていないけれども、The Shampoo Hatにおける赤堀雅秋は、あくまで作家(演出も含めて)であるというのが、個人的な印象。舞台にあがれば、時に、ギラりとした強烈な個性を見せるが、役者としての彼は全編を支えるタイプではないと思っていた。その赤堀が、自ら主役を演じる今回の公演である。
一度は事故現場から逃げたが、助手席に座っていた同僚(多門勝)が、翌日警察に自首して、轢き逃げを自供。主婦を轢き殺し、逃げようとしたトラックの運転手(野中隆光)は、結局逮捕されてしまい、二年半の刑期を勤めた。その男木島は、そもそも轢き逃げをヘとも思っていなかった。出所してからも、就職したタクシー会社で同僚(児玉貴志)を涼しい顔で半殺しの目に合わせたりしている。
そんな彼のもとに、少し前から毎日奇妙な手紙が届くようになった。郵便受けに放り込まれる「おまえを殺して、おれは死ぬ」というメッセージには、決行まであと○日というカウントダウンが記されたいた。差出人は轢き逃げ被害者の夫健一(赤堀雅秋)のようで、木島は健一の義理の弟にあたる教師の青木(日々大介)を脅し、健一にやめさせようとするが。
道を表していると思われる縦と横に引かれたの太い線が、ほぼ中央で十の字に交わる舞台。その交叉点が、冒頭で轢き逃げの起こる場所であり、最後に犯人と被害者の夫が交錯する地点でもある。事故から間もなく三年が経とうかという夏の物語。木島の常軌を逸した暴力や、青木のお節介で健一がお見合いをさせられるエピソードも描かれるが、全体は静かな復讐の物語である。
自動車の整備工場を経営する健一は、妻の死後も表面的には穏やかな生活を送っている。しかし、彼の内側には、怒りとも、悲しみともつかない行き場のない思いが、今も暗く澱んでいるのだ。卓袱台の前にひとり座って、妻が死ぬ直前に留守電に残した他愛ないメッセージを、いまも繰り返し再生する健一。冒頭にあるこの長いシークエンスは、被害者の家族の心に巣食って、いつまでも苦しめる癒えない傷の深さを観客に焼き付ける。
カウントダウンは尽き、やがて三年前に事故の起きた、妻の命日がやってくる。互いに懐に刃物を忍ばせ、事件現場で遭遇する健一と木島。しかし、息を呑んでふたりを見つめる観客は、その展開に意表をつかれる。大切なものを失い、深い傷を負った人間に対する真の意味での救済を、暴力以外の手段で作者は描いてみせるのだ。なるほど、赤堀はこれを自分で演じたかったのだな、とちょっと穿った見方もしたくなる見事な物語の帰着である。
味付けとしてはちょっと甘口かもしれないが、ラストシーンもいい。見合い相手とのささやかな再会や、留守番電話の場面も、主人公の新たな人生が始まることを予感させ、わたしはいい幕切れだと思った。
それにしても、その傷ついた男の魂を救う静謐な物語のすぐ脇には、無軌道な暴力を繰り返す木島という社会的病質者の恐るべきドラマが寄り添っている。木島という人物の描き方が、単なる悪役ではなく、社会的には負の存在でありながら、多くの人間をひきつける不可思議な一面(木島には自分がいなくてはならないと力説する同僚や、見ず知らずの木島を自分のアパートへ連れ帰る道路工事の警備員など)をも描いているのには感心した。物語の隅々にまで、時代の闇を盛り込んでみせる作者の懐は深い。(120分)※8日まで。

■データ
だらしなく太った(失礼)役者の体もきっちりディテールになる、と妙なことに感心した平日のマチネ/下北沢ザ・スズナリ
9・29〜10・8
作・演出/赤堀雅秋
出演/野中隆光、日比大介、児玉貴志、多門勝、黒田大輔、滝沢恵、吉牟田眞奈、梨木智香、赤堀雅秋