(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

「散歩する侵略者」イキウメ

2005年10月に、劇団の第6回公演としてサンモールスタジオで上演された作品の再演。その翌年には、G-upがTHE SHAMPOO HAT赤堀雅秋を演出に招いて上演した。わたしはそちらしか観ていないが、強烈な印象で忘れられない作品となった。というわけで、期待が膨らむオリジナル劇団による再演である。
おそらくは、朝鮮半島にもっとも近いどこか。日本海を臨む小さな田舎町に、夏祭りで買った金魚の袋をぶらさげて、ひとりの男がまるで迷子のように呆然と佇んでいる。ようやく妻のもとへ帰りついた男は、何かが抜け落ち、以前とは別人になっていた。子どもに還ったかのような夫の世話をやくうちに、妻は失いかけていた配偶者への愛情を次第に回復していく。
そんな夫を、医師は脳の障害と診断した。毎日のように近所を徘徊する夫に、妻は不審なものを感じるが、出会った人と会話を交わしているだけで、それが自分の仕事だという。やがて、その町の病院には、記憶障害にも似た奇妙な症状を訴える患者がたくさん押しかけていることが判ってきて。
会場に足を踏み入れると、円形劇場の形状に合わせて、同心円の層を三段に重ねた舞台が目に入る。青のライトがあたり、幻想的な佇まいがぼんやりと浮かび上がる舞台を見て、抽象的なシンプルさと力強さを備えた、いかにもイキウメらしい舞台装置だ、とまず感心する。
お話は、1.異星人の侵略の脅威、2.人間の内側に広がる概念の世界へのアプローチ、そして3.夫婦愛、という3つのテーマが交錯する。1に関しては、先の赤堀演出では、とんでもない戦慄を生む寺十吾、岸潤一郎、黒岩三佳の3人に、キャスティングの妙を見た思いがしたのだが、今回も浜田、日下部、内田のトリオが提示するまた別の恐怖に新鮮な驚きをおぼえた。この作品では、このキャスティング次第で、いくらでも興味深い変奏が可能なのだな。
次に2だが、そもそも人間が何かを認識するには、そこに概念があって、それがなくなったらどうなるのだろう、という素朴な出発点が冴えている。一種のセンス・オブ・ワンダオーといってもいいだろう。あわせて、その概念が欠損すると、というイフの発想への発展が、物語性だけに引っぱられない別のベクトルを生み出している。
3に関しては、最後にある愛という概念をめぐる夫と妻の場面に、そのテーマとしての収斂がある。ふたりが行うある行為が生み出す結果は、今回の公演でもクライマックスに相応しい本作のハイライトで、観ていて胸が苦しくなる感動がある。ただし、そのあとに続くシーンは、幕切れの熱をクールダウンさせる狙いだろうか。わたしには、やや蛇足のようにも思えるのだが。
これら3つのテーマが、融合しあったり、拮抗したりせずに、最後までひとつひとつがきちんとテーマとして屹立しているのが、やはりこの作品の特長だ。今回、イキウメのバージョンを観て、観る角度を変えるとまた別のカタルシスが見えてくるという『散歩する侵略者』という物語の多面的な魅力を再認識した。
それにしても、背景として描かれる、隣国との開戦という非日常が、不穏な空気を煽り立てる大きな効果をあげている。本作は、そういうすぐれた時代性をも備えていると思う。(120分)※東京公演は終了。29日から大阪公演。

■データ
客席に演劇関係の人々がやたら目についた初日ソワレ/青山円形劇場
9・12〜9・16(東京公演)
作・演出/前川知大
出演/岩本幸子、浜田信也、盛隆二、國重直也、宇井タカシ、安井順平、瀧川英次(七里ガ浜オールスターズ)、内田慈、日下部そう(ポかリン記憶舎)、町田晶子(BQMAP)