(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

「ドラクル」シアターコクーン・オンレパートリー2007

自ら率いる阿佐ヶ谷スパイダースを拠点に、パルコ劇場、新国立劇場と活動の場を広げる長塚圭史の新作にしてシアター・コクーン進出作。神に祈る吸血鬼というアイデアが出発点だったらしく、それがそのままモチーフになっている。主演の市川海老蔵が、以前から演じたかったキャラクターでもあるそうだ。ドラクル、すなわちドラキュラの物語である。
18世紀のフランス西部、深い森の中でひっそりと暮らす夫婦があった。妻のリリス(宮沢リエ)は病の床につき、夫のレイ(市川海老蔵)は看病をしながら、神へと祈る静かな日々を送っている。彼こそ、ドラクル。かつて悪逆の限りをつくした彼も、今は祖国を逃れ、この地でひっそりと暮らしていた。往診に訪れる医者(渡辺哲)は、都会での治療を勧めるが、夫と離れることをよしとしないリリスは、それを拒み続けていた。
そんなある時、彼女をひとりの若者(中山祐一朗)が訪ねてくる。彼は、リリスの故郷からやってきた使者で、別れた前夫からのメッセージを携えていた。前夫は故郷の町の領主で、黒死病の猛威に苦しむ民衆を救うために、リリスに戻ってきてほしいという。帰郷の意思がないリリスは若者を追い返すが、続いてやってきた前夫の腹心ラーム(市川しんぺー)に、無理やり連れ戻されてしまう。
と、ここまでが前半。後半は、事態を知ったレイが悲嘆、そして激怒し、町へと向かう、という展開で、前半の静に対して動という配置になっている。抑えに抑えた前半の演出は、その効果を狙ったものだと思うが、それにしても第一部は退屈だ。
キリストへ祈りを捧げるなどという馬鹿げたことをやめさせようとするトランシルバニアの同胞たち(山本了、明星真由美)も登場し、ドラクルの300年に及ぶ過去を浮かび上がらせたりもするが、どうもどこかで聞いたような話に思えて、薄っぺらな印象。妻リリスの不幸が透けてみえる存在感も希薄なら、リリスとドラクルの愛情の濃やかさもあまりない。ないないづくしの前半なのだ。
最愛の者を失ったことがきっかけで、激情、暴力となって爆発する後半は、舞台を町へと移してやっと物語も動き始めるが、復讐、嫉妬、そして怪物の末路と、ありがちな定石どおりの展開に終始する物足りなさがついてまわる。笑いの要素を極力排するなど、抑制を効かせた演出も、役者たちの個性も消してしまっているように思える。手塚とおるや市川しんぺーを使うなら、彼らのもっとアクの強さを観たいところだ。
文句ばかりを書いたが、本作が大人の鑑賞に耐えうるそれなりの舞台に仕上がっていることは間違いない。長塚圭史があえて小劇場系の小賢しさから離れて目指した(と思われる)大きな劇場を使ったオーソドックス、スタンダードな芝居づくりは、十分に達成されているといっていいだろう。ただし、時に型破りとなるスリルを秘めた長塚圭史はここにはいない。それを求めるファンとしては、コストパフォーマンスの悪さもあって(S席12000円)、不完全燃焼の感は否めないところだ。
良かったのは、大柄な海老蔵に大きめのマントを付けさせるというアイデアで、後半、ドラクルがマントを翻し、大股で闊歩する場面は、役者の華ともあいまって、惚れ惚れさせられる。それと、深い森の中や、黒死病の広まった街中、寺院の中など、その場に相応しい濃密な空気をマジックのように漂わせる照明技術も良かった。とりわけ、幕開きの場面で、語り手でもあるブランシェ(山崎一)の立つ場所が静かに浮かび上がってくる場面は、幻想的であるとともに非常に美しい。(休憩20分を含む190分)※26日まで。

■データ
海老蔵お目当てとおぼしき女性客がやたら多かったソワレ/渋谷Bunkamuraシアターコクーン
9・1〜9・26
作・演出/長塚圭史
出演/市川海老蔵宮沢りえ永作博美、渡辺哲、山崎一手塚とおる、山本亨、市川しんぺー(猫のホテル)、明星真由美中山祐一朗阿佐ヶ谷スパイダース)、勝村政信、堀川政信、窪田壮史、古川龍太
演奏/DRACUL QUARTET〜保科由貴(ヴァイオリン)、塚本弥生(ヴァイオリン)、深谷由紀子(ヴィオラ)、橋本歩(チェロ)
美術/島次朗 照明/原田保 衣裳/前田文子 音楽/上野耕路今堀恒雄 音響/加藤温 ヘアメイク/鎌田直樹