(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

「不確かな怪物」ブルドッキングヘッドロック

三鷹市が財団に運営を任せている三鷹市芸術文化センター星のホールは、駅から徒歩15分という微妙なロケーションの問題はあるものの、スタッフの手腕が素晴らしく、次々と若手の劇団を招致している注目のホールである。ただ、キャパシティの割にだだっ広い舞台と、配置やスロープなど客席の仕様が小さな芝居向けでないところがあって、わたしがこれまでに観た劇団は、どこも持て余しているきらいがあった。今回のブルドッキングヘッドロックは、それを見事に使いこなしている。
田舎町で老いた父親とふたりで暮らす青年。姉は、近所に嫁に行っているが、家族が心配で、よく実家を覗きにくる。青年は地元で小学校の教師をやっており、今朝も隣家に住む教え子の件で、母親から苦情でねじ込まれている。苛めを受けた子どもが、怪我をして帰宅したというのだ。主人公には、ボケが始まったのか、父親の奇矯なふるまいも気にかかる。しかしその朝、郵便局員から受け取った一通の誤配の封書が、彼自身の日常を大きく歪ませるきっかけとなってしまう。
感心させられるのが、冒頭に書いた舞台装置だ。正面に主人公宅の居間、上手に病院の病室、下手には隣家と町にたった一軒のバー、さらにはその階上には主人公の部屋と、所狭しと欲張ってはいる。しかし、芝居が始まると、不自然なく物語の舞台や背景になっていき、なるほどと思わせる。大掛かりな配置には、役者たちの行動半径なども計算に入れてあるに違いない舞台装置だ。(ちなみに、客席も観易いスロープをつくり、パイプ椅子を再配置してあってGOOD)
さて、物語の方だが、登場人物も多く、最初は群像劇、人間模様を描いた作品のようにも映る。家を飛び出していた兄が帰宅し、友人は入院している、近づく夏祭りのために寄合いが開かれている。しかし、お話が進むにつれて、それらのエピソードが微妙にぶれ始めるのだ。
舞台上の行き当たりばったりとしか思えない事件の連続に、狐に鼻をつままれたような気分に捕らわれることしきりなのだが、それがようやく得心がいったのは終演後しばらくたってからのこと。なるほど、あの奇妙なストーリーの迷走は、主人公を蝕む狂気であったか、と。
実は、主人公の家に誤配された封書は、ある作家あてのもので、ファンとおぼしき女性からの熱烈なファンレターだった。ふと魔がさした彼は、作家になりすまして返信してしまう。それがきっかけになって、彼の日常は変異しはじめる。兄の尋常ではない暴力や入院中の友人が看護婦と結ぶ色っぽい関係、教え子の転落事故や、バーで起きるガス爆発などは、作家を気どる彼のつくりだした虚構の中での出来事なのだろう。ザワザワと観客の不快感をあおる効果音とともに、主人公宅の床下で何かが蠢く気配も、彼の妄想を象徴しているものとおぼしい。
というように、作家になりきりの主人公が、虚構により自らの正気を侵食していく物語なのだが、残念ながらそのあたりのスリルが観客に伝わるかどうかは微妙だと思う。というのも、虚構と現実の色分けが、あまりに曖昧だからだ。いや、曖昧さもあっていいのだが、そもそもの二重の構造に観客は気づかないのではないか。主人公の青年が、正気と狂気の境界線の上にいることを示す伏線も、あまり機能していないように思える。
上演時間の長さは、思ったよりも気にならない。それは、個性溢れる達者な役者たちに負うところもあるが、やはりこの物語の得体のしれない謎の魅力のためだろう。であればなおさら、観客に向けてその魅力を活かした物語の作り方があると思うのだが。(140分)※12日まで。

■データ
ひたすらあぢぢのマチネ/三鷹市文化芸術センター星のホール
8・4〜8・12
作・演出/喜安浩平(ナイロン100℃)
出演/小島聰、永井幸子、篠原トオル、山口かほり、馬場泰範、西山宏幸、寺井義貴、深澤千有紀、藤原よしこ、猪爪尚紀、三科喜代、喜安浩平、相内友美、藤原千代、宮本悠子、西野大介(チーターダッシュボンバーショット) 、中西広和(温泉きのこ) 、林ゆう子(オトメチックジャパン) 、仗桐安(RONNIE ROCKET)
舞台監督/スズキサオリ 照明/斎藤真一郎(A.P.S) 音響/水越佳一(モックサウンド) 舞台美術/長田佳代子 宣伝美術/オカイジン 舞台写真/nana 映像操作/諸田奈美 音楽/西山宏幸 映像/篠原トオル(モジャーフィルム)、猪爪尚紀 衣装/山口かほり、森川美香