(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝蝶のやふな私の郷愁 改訂版〟燐光群

ふと、箱入りのティッシュペーパーが普及したのはいつ頃からだったろうか、と気になった。というのも、舞台上の日本家屋風の六畳間、卓袱台、テレビはなくラジオ、近づく台風そしてロウソクというシチュエーションは、どうしてもわたしの記憶の中では昭和30年代の光景だからだ。しかし、セットの箪笥の上には、近所のスーパーで買ってきたかのようなティッシュペーパーの箱が4つ積み上げてあって、大規模なマンション建設の話題なども出るので、どうも時代の感覚がわたしの頭の中で曖昧になってしまう。時代設定が昭和のある一時期であることは間違いないと思うのだが。
松田正隆作、鈴木裕美演出の〝蝶のやふな私の郷愁〟は、燐光群が三作連続上演を行う〝組曲二十世紀の孤独〟のパート1で、新宿三丁目にオープンしたスペース雑遊の杮落とし公演である。子どものいないともに30代とおぼしき夫婦の茶の間が舞台である。ラジオが台風の接近を告げる中、夫が帰宅し、夫婦の夕食が始まる。食卓ではどこの夫婦でもが交わすような会話が進むが、突然、停電し明かりが消える。確かあった筈だとロウソクを探すふたり。そんな時、手の平に収まるくらいの大きさの巻貝が引き出しから出てくる。それは、夫が今は亡き姉に買ってきた土産品だった。
かつて台風の到来は、身近な非日常だった。〝蝶のやふな私の郷愁〟は、台風が身近な非日常だった時代の平凡な夫婦の物語である。しかし、夫婦に非日常が訪れたとき、ちょっとした運命の悪戯が一石を投じる。そこから静かに広がっていく波紋を、いささかの緊張感を交えて、この芝居は鮮やかに描いていく。
そこはかとなく漂うノスタルジーと、夫婦の機微を濃やかに描く占都房子と坂手洋二の演技がなんとも心地よい舞台だが、終盤、唐突に出現する洪水の中に屹立するマンションのイメージが観客に与える印象も清々しい。巻貝や金魚の餌という小道具や、場面に応じて小技を披露する照明も非常に効果的だったと思う。(70分)


■データ
8月8日ソワレ(10日まで)/新宿スペース雑遊(杮落とし)