(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ (1998)

極東の島国では、イギリスとアメリカをひと括りにして英米などと言ったりする。しかしながら、同じ英語圏でありながら、双方の文化はある意味非常に対照的である。濃い紅茶と薄いコーヒーほどの違いとでも言ったらいいだろうか、風土や気候、さらにはそこで暮らす人々の気質の違いから、生まれる作品世界に流れる空気は、まったくの別物と言っていい。それは映画についても同じで、ガイ・リッチー監督の犯罪映画『ロック、ストック・アンド・ツー・スモーキング・バレルズ』からは、いかにもイギリス産のテイストが漂ってくる。
エディ(ニック・モーラン)、トム(ジェイソン・フレミング)、ベーコン(ジェイソン・ステイサム)、ソープ(デクスター・フレッチャー)の四人組は、ロンドンの裏町で一攫千金を夢見るチンピラである。エディのカードの腕前を利用し、なけなしの資金をかき集めた彼らは、イーストエンドを牛耳るポルノ王のハチェット・ハリー(P・H・モリアーティ)に一世一代のギャンブルを挑む。ところが、エディの父親JD(スティング)が経営するバーを手に入れようと目論むハリーは、イカサマで彼らを返り討ちにしてしまう。
多額の借金を背負った彼らが苦肉の策として思いついたのは、隣の部屋に住む麻薬の売人ドッグと仲間たちの上前をはねる事だった。怪しいルートで散弾銃を手に入れ、念入りに練った襲撃計画は、あっさりと成功する。ところが、偶然の悪戯で、彼らの犯行をドッグに知られてしまう。かくして、激怒するドッグは、皆殺しのために武装した仲間たちを彼らの部屋に送り込むが…。
と、メインのストーリーのみを記したが、実はとても複雑にいくつもの物語が錯綜する構成になっている。マリファナ栽培に手をそめる上流階級出身のお坊ちゃんたちや、怪しげな麻薬のディーラー、ポルノ王の用心棒にそそのかされて骨董品の散弾銃を盗む小悪党のコンビ、汚い言葉遣いを嫌う子連れの取り立て屋たちのエピソードが並行して語られ、それらが複雑に絡まっていく。ところが、ひとつひとつの話は一見ばらばらだが、やがて皮肉な運命の女神に導かれて、とんでもない結末に向かって、急速に収束していく。
当時まだ二十代だったガイ・リッチーの脚本は実に見事で、アメリカだったらエルモア・レナードの小説か、タランティーノの映画といったクライム・フィクションの複雑なタペストリーを織り上げている。妙にクールだったり、微妙なユーモアがあったりと、いかにもイギリスというお国柄を感じさせながら、意表をついた展開と、ツイストの効いたエンディングへと観客を招待する。わたしはハメットの「血の収穫」を思い起こしたりした。
個性的な俳優たちを配したキャスティングも素晴らしい。主人公グループのニック・モーランを始めとする4人組のチンピラぶりがなんともいい味を出しているし、山ほど登場する悪党どもの一癖も二癖もあるキャラクターも、それぞれ独特の存在感をもってスクリーンの中を動き回っている。彼らの人を食った悪漢ぶりを眺めているだけでも、十分に楽しい映画だ。出番は少ないが、スティングの頑固親父役もいい。
映画のヒットを受けて、ガイ・リッチー総指揮のTVシリーズの製作されている。あまり芳しくない評判も耳にするが、機会があればぜひ観てみたいものだと思う。それほど、この映画のキャラクターたちの存在感には、輝きがある。[★★★★]

(以下ネタばれ)
ドッグの命令で4人組を待ち伏せする悪党たちの前に現れたのは、お坊ちゃまたちが栽培する麻薬の元締めであるディーラーの武装集団だった。4人組が強奪した麻薬は、そもそも彼らのものだったのだ。しかし、4人組がアジトを空けていたため、壮絶な銃撃戦の末に、双方全滅する。ドッグも、逃げる途中に、取り立て屋の親子の車を乗っ取るが、返り討ちにあう。一方、ポルノ王とその用心棒も、ケチな小悪党のコンビと相討ち。かくして、4人組と、取り立て屋の親子だけが生き残る。取り立て屋のはからいで4人組は骨董品の散弾銃を手に入れることに。ところが価値を知らない4人組は、それを処分することに。ひとりが銃を捨てに出た後、銃の価値を知った3人は、あわてて仲間の携帯に電話を。橋の踊り場に引っかかった銃を川に投げ込もうとする仲間のひとりに、携帯電話がかかり、銃の運命やいかに、というところで幕。