(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝38℃〟パラドックス定数第11項

JR渋谷駅の新南口に近い会場space EDGEに入り、前日にメールで予約したチケットの清算を受付で済ませると、A4判数ページのホッチキス止めしたものを手渡される。おお、力の入ったプログラムだなと思って、まずは空いている座席を見つけて腰を下ろす。開演時間がきているが、まだ始まらない様子なので、さっきもらったプログラムでもと思い、改めて眺めてみると、それはレジュメで、〝抹消される薬害〟と題されて、薬害の実態やそれにまつわるレポートになっている。
そう、ふと気づくと、観客はすでに舞台装置の一部となっているのだ。芝居の会場は、公開講座の会場であり、われわれ観客は、公開講座の参加者という設定。医大の助教授である講師(大塚秀記)が、会場の中央で講座の前説を始めると、仕込みで観客席のあちこちに座った役者たちが立ち上がりで、芝居が始まる。
しかも、大学病院が主催する公開講座を薬品メーカーの研究員たちが致死性の高いウィルスをちらつかせて乗っ取るというシチュエーションで、なんとわれわれ観客も人質という役回りを与えられている。しかし、観客の参加はここまで。助教授のほか、講師(杉田健治)、研修医(井内勇希)の病院側と、医薬品メーカーの開発部の二人(小野ゆたか、西原誠吾)、販売担当(植村宏司)の双方で、責任問題をめぐる激しい激論が戦わされていく。
論戦のテーマは、3年前、国内ではなぜかこの病院だけで発生し、数人の死亡者を出したSARS(重症急性呼吸症候群)をめぐるもので、その際患者が死に至った責任は、病院の発表どおり医薬品メーカー側にあったのか、それとも病院側にあったのか。特効薬の開発者は、薬は効いた筈だと主張し、病院側は自分たちに落ち度はなかったと反論する。
まさに緊迫感に満ちた90分のドラマである。われわれ観客はその現場に立会いながら、あくまで舞台装置でしかないのだから、議論への参加はありえない筈なのだが、手に汗を握る局面が、双方のせめぎあいの中では何度もあったと思う。象牙の塔の中での醜い権力闘争があったり、販売担当の妹がSARSで死亡した経緯が明らかになったりと、ドラマは一本道ではなく、複雑に錯綜する。やがて、SARSの事態に先見の明があった小児科の医師がいたことが明らかになり、すでに死んだとされる彼の存在をめぐって、クライマックスへと雪崩込んでいく。
ただ、正直言って、観客の緊張感の持続にも限度はあって、個人的には最後の30分くらいはややもすると役者たちの議論についていけないところがあった。息をもつかせない密度の高いやりとりが続いたために、頭が何も染み込んでいかない状態になったというか。こちらの集中力不足はお恥ずかしい限りだが、舞台上にそれを緩和するメリハリ、すなわち引きの展開もあっていいような気がする。ハイジャックというシチュエーションが、ディスカッションが白熱するのと引き換えに、やがて置き去りにされるのも、ちょっと惜しい気がする。
しかし、濃い密度のディスカッションを緊張感たっぷりで味わった。社会派のドラマを、これだけサスペンスフルに繰り広げるこの劇団の真摯さは、大いに買っていいだろう。
なお蛇足だが、終演後に、ある仕掛けについて口外しないでほしい、というアナウンスがあったが、正直、それほどのものかという素朴な疑問もあり。むしろああいう展開は、このドラマでは必然であるし、それを隠すことはむしろ瑣末なことのように思えたが、どうか。いや、だからといって、ネタバレをする気はまったくないし、この劇団の真摯な態度を揶揄するつもりはまったくないのだが。

■データ
2006年9月23日マチネ/渋谷space EDGE
作・演出/野木萌葱
出演/植村宏司 杉田健治 西原誠吾 井内勇希 大塚秀記 小野ゆたか
照明/木藤歩、舞台監督/渡辺陽一、写真/渡辺竜太、宣伝美術/山菜春菜
制作/パラドックス定数研究所