(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

恋愛をこえた関係の尊さを語りかける究極の恋愛小説『A2Z』

人生もとうに半ばを過ぎ、恋愛などというものにすっかり無縁の身となってしまったわたしだが、色恋沙汰への興味だけはいまだ尽きない。しばしば人生は謎に満ちたものだと思うのだが、その最大のものは恋愛にまつわるものではないか。恋愛さえなければ、人の一生はもっとシンプルなものになるに違いない。しかし、そんな人生は生きるに値するものかどうか。
恋愛のことを考えると、形のないものにも、終わりがくるのだ、という切ない思いに行き当たる。しかし、終わりがくるものであるからこそ、恋愛は大事なものにも思える。山田詠美の『A2Z』は、そういうことをわれわれに改めて思いおこさせてくれるのだ。
好きな女ができた。あっけらかんとそう言い放つ夫に、愕然とする主人公の夏美だったが、しばらくして彼女も夫以外の男性と恋におちる。郵便局に勤める年下の男、成夫とのバラ色の日々が始まる。彼の部屋を訪れ、とりとめもなく言葉を交わし、ベッドで時間を過ごす。夢のような時間が流れていくが、夏美はふたりにとってのタイムリミットが近づいてくるのを感じはじめる。
恋愛賛美をこの小説から読みとることは容易だ。恋におちたふたりの輝かしい日々を、山田詠美は、これでもかというほど甘美に描いている。初めて彼の部屋を訪れた夏美を、思い切りロマンチックにもてなす青年。彼は、夫の存在や編集者という彼女に対して嫉妬を抱いているが、それすらも夏美には心地よい。名シーンがいくつも散りばめられたこの小説だが、中でもハイライトはふたりの行く末をさりげなく予感させる線香花火の場面だろう。この場面を読み返すと、わたしはいつも胸が締め付けられるような切なさに襲われる。
この小説を最初に読んだときに感じたのは、恋愛にも賞味期限がある、ということだった。しかし、山田詠美がこの小説で描きたかったのは、恋愛の甘美さを讃える一方で、恋愛を超えた関係というものが存在し、それは何ものにも替えがたい大切なものになりうるという、いまさらのような事実だろう。甘くて苦いこの物語の結末が、ことさら印象的なのは作者のそんなメッセージが説得力をもって読者に示されるからではないか。
本稿を書きながら、またもや『A2Z』を読み返したい気分になってきた。これまで、何度も読み返しているのだが。残りの人生で、わたしはこの小説をあと何度読み返すことになるのだろうか。読売文学賞受賞。

A2Z (講談社文庫)

A2Z (講談社文庫)