(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

『ハイ・フィデリティ』にみる恋とアンソロジー・テープの謎

恋に落ちたとき、人は奇妙は行動をとるものである。その最たるものは、音楽のアンソロジーを作ることではないか。かくいうわたしも、貧しい恋愛経験に正比例してではあるが、好きな女の子のためにせっせとカセットテープのアンソロジーを作ったことがある。(遠い過去の話だが)アンソロジー作りに情熱を燃やす時の不思議な高揚感は、恋愛のカタルシスに直結しているものといっていいかもしれない。
ニック・ホーンビイの『ハイ・フィデリティ』に登場する青年ロブも、そんなアンソロジーづくりのマニアである。しかし、彼の場合、アンソロジー好きなのか、女の子が好きなのか、いったいどっちが先なのか判らないところがある。中古のレコードショップを経営する彼は、ある日、長く同棲していた女性弁護士のローラに逃げられてしまう。ローラには、ロック・ミュージックにうつつをぬかす彼が現実から逃れてばかりいるとうつり、愛想をつかしたのだ。その日を境に、ロブは、ローラの新しい恋人に嫉妬し、自らは過去の別れのベスト5なんかが頭の中をかけめぐる内向の日々へと突入する。ついには、過去の恋人たちを訪ね歩いて、ストーカーまがいの行動にまで走ってしまうが、心を癒してくれる女性シンガーとの出会いや、万引き少年たちとの音楽を通して交流などを通じて、また前に向かう気持ちを取り戻していく。
すべて音楽というものを通して考えてしまう主人公ロブのあり方は、他人とは思えない。おまけに、アンソロジー作りに走る体質というのが、どうも男のだらしなさとシンクロするような気がして、なんとも情けない気分に陥った。しかし、女性の友人に思い切って尋ねてみたところ、彼女にも好きな相手にアンソロジーを送った経験があるとこっそり教えてくれた。なるほど、アンソロジー癖は音楽ファンとして共通の性癖であったか、と心の中で小さな喝采を叫んだことはいうまでもない。
ニック・ホーンビィの音楽好きはつとに有名で、昨年紹介された『ソングブック』は、本人のお気に入りの曲をテーマに、エッセイが31曲分収められている。例えば、ティーンエイジ・ファンクラブエルビス・コステロ、などなど。これは、ホーンビィという作家の小説が湛える軽快なポップ感覚の源を覗くようで、とても興味深いエッセイ集だった。
ところで『ハイ・フィデリティ』の主人公には、結局ローラの愛を取り戻すハッピーエンドが待ち受けているが、わたしは男性読者として、さりげなくも読み捨てならないくだりを見逃せなかった。ようやくローラとよりを戻したのも束の間、主人公は別の女性に贈るアンソロジーを夢想するのだ。これでは男の移り気を世の女性に知らしめるようなものではないか。まぁ。確かにそういう傾向もあるにはあるけどさ。

なお、この小説は、原作にほぼ忠実なかたちで映画化されている。主人公のロブはジョン・キューザックが演じ、監督は〝グリフターズ〟のスティーブン・フリアーズ。しかし、わたしは映画の方は、あまり好きではない。なぜなら、中古レコード屋の店員として、ジャック・ブラックが出てくるからだ。あのがちゃがちゃしたキャラクターが、なんとも許せないのだ。だから、彼が同じキャラで主演した〝スクール・オブ・ロック〟も…、でもそれはまた別の話。

ハイ・フィデリティ (新潮文庫)

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