(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

「南部高速道路」

「石蹴り遊び」で知られるアルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの短編小説に想を得ての舞台化らしい。原作は、作品集「悪魔の涎・追い求める男」(岩波文庫)に収録されている同題の小説で、今回の舞台化への経緯は、次のとおりだという。

3年ほど前に、フリオ・コルタサルというアルゼンチンの作家の短編小説集を読んだ時に非常に劇的な印象がありまして、いつか舞台にしたいと思っていた作品です。この作品自体が、渋滞に巻き込まれる、その渋滞が終わらない、というとてもシンプルな話で、非常に非日常的な、幻想小説という部類に入る作品です。(劇場サイトから長塚圭史の談話を引用)

[※以下ネタバレあり]登場人物らは、高速道路の深刻な渋滞状態に巻き込まれることによって、日常から非日常へと越境、やがて旅路の果てに再び日常へと戻ってくる。その違いは微妙だが、しかし何かが決定的に違う日常と非日常。そこに3・11以降のペシミスティックな日本人の心情がチラリとのぞくが、その世界の正体は最後まではっきりしない。
終盤、真木よう子の女性ドライバーは、ふとした拍子に、ずっと見当たらなくなっていた腕時計を見つける。日常への帰還を観客に意識をさせる重要なシーンなのだろうが、わたしの印象に残ったのは、さらに幕切れ間近に別の登場人物のひとりがポツリともらす科白だ。(記憶が曖昧で正確な引用ではないが)さて家に帰って、風呂にでも入るか、というような一言だったと思う。
実は、渋滞の中にあってもトイレや水の補給、食事といった営みや、セックスまでも忘れない人々が、なぜか入浴(体を洗うこと)できないことに目をつぶっていることが、ずっと気になっていた。しかし、この些細な違和感、欠落感が、わたしの中でほとんど無意識同然に舞台上の光景の非日常を意識させていたと思しい。この入浴をめぐる一言によって、まるで催眠術師が鳴らすパチンという指の音のように響き、非日常は終わり、物語にも幕がおろされることを知った。
小説でよくいうマジックリアリズムの世界を舞台に出現させる試みは、過去にシアターコクーンで演出を担当したスワボミール・ムロジェックの「タンゴ」にもあったような気がするが、今回の舞台の成功の秘密は、その世界が判りやすく、共感しやすいシンプルさにあると感じた。後半ややダレるのは惜しいが、終始観客を飽かさないのは、非日常の旅人たちの群像劇を丁寧に描いているからだろう。
長塚圭史は、つくづくいい小説に目をつけたなと感心させられるのである。(ソワレ、110分)

■データ
6・4〜6・24@シアタートラム
構成・演出/長塚圭史
出演/安藤聖、植野葉子、梅沢昌代、江口のりこ黒沢あすか真木よう子赤堀雅秋梶原善、加藤啓、小林勝也菅原永二、蠔ジョンミョン、横田栄司、酒井美夢/瀧澤采愛(ダブルキャスト) クリス智子(声の出演)