(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

「混じりあうこと、消えること」シリーズ・同時代Vol.2

新進の劇作家と世代の異なる演出家がコンビを組むシリーズ・同時代のパート2は、「生きてるものはいないのか」で本年岸田戯曲賞に輝く前田司郎が登場。
夜の公園。ひとりの中年男(國村隼)がふらりとやってくる。葬式の帰りだろうか、喪服姿で、どことなく疲れている様子だ。ふと、片隅から聞こえてきた「おとうさん」という呼びかけに、一瞬ぎょっとする男。
そんな彼の目の前に、女(南果歩)と少年(橋爪遼)が現れる。二人はどうやら男の妻と息子らしく、やがて娘(初音映莉子)も登場する。饒舌な妻や子どもたちに気おされながらも、なんとか話を合わせていく男。奇妙な団欒が繰り広げられ、公園の夜は更けていく。
情けないくらいにチープな舞台装置を見慣れたファンには、新国立の舞台上に出現した立派な都市公園はまさに異世界。五反田団で観る普段の前田司郎とは、隔絶の感がある。しかし、その充実の要素が、なぜか面白さに繋がっていかない。
白井晃の演出は、不条理劇としての輪郭をことさら明確に浮き上がらせていくものだが、こうやって演出を交替してみると、前田司郎の書くものの強い不条理性に、今更のように気づかされる。そして、ゆるやかに抽象的な前田の演出には一種のマジックがあって、不条理を前面に押し出すかわりに、そこに淀む心地よさというか、ファンタジーのようなものを醸成させていたことを思い出す。
前田作品の私小説ならぬ私演劇の面白さの源はそこにあると思うが、今回の演出にそれはない。これはこれでひとつの手法だと思うが、わたくし的には、五反田団の芝居でこの作品を観てみたい、という思いに駆られた。
ことさらに強調されているように思える家族というテーマだが、わたしはむしろその裏側に存在しているであろう男を捕らえる喪失のイメージを強く感じた。五反田団で味わういつもの愉しみからは遠い本作だが、國村隼の孤独な姿はやけに印象に残った。(75分)

■データ
青年団を観に来ているいつもの若いお客さんたちが殆ど見当たらないソワレ/初台新国立劇場
6・27〜7・6
作/前田司郎(五反田団) 演出/白井晃
出演/國村隼南果歩、橋爪遼、初音映莉子