(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

[演劇]「どん底」シアターコクーン・オンレパートリー2008

映画のジャン・ルノワール黒澤明も観ている筈だが、なにせ昔のことなので細部をほとんど忘れてしまっている「どん底」。ロシアの文豪マクシム・ゴーリキーの戯曲は、貧困をテーマにした社会派の物語だと言われているが、100年前の黴臭さをどう料理し直すのか。そのあたりが今回の見所だと思って足を運ぶケラ版の「どん底」、さて。
老朽化した建物もどん底なら、そこで暮らす人々も社会のどん底。地下にある木賃宿の住人たちに共通するのは、貧困と諦めの境地だ。アル中の役者、饒舌な帽子屋、妻が死にかけている鍛冶屋、快活な饅頭売りの女、妄想癖のある娼婦、インチキ臭い元男爵、若い盗っ人などなど。そしてそこにまた一人、ここを仮の宿とする巡礼の老人が加わった。人々を慰め、まるで賢者のようにこの場所を抜け出すことの素晴らしさを説く老人は、慕われたり、煙たがられたり。
意地悪く家賃を取り立てる業つくばりの家主には妻がいて、実は男前で羽振りのいい盗っ人と不倫の関係にある。しかし、家主の妻には、夫殺しに盗っ人を利用しようという悪だくみがあった。それを知った巡礼の老人は、家主の妻の妹で、無垢な娘を連れて逃げ、遠くの土地で新しい生活を始めるように盗っ人を諭す。娘に密かな思いを寄せる盗っ人は出立の決意を固めるが、決行を目前に予期せぬ悲運を招いてしまう。
ケラには上演台本のクレジットがあって、これは大胆な潤色もありうると思いきや、舞台を江戸にもってきてしまった黒澤明なんかに較べると、さほどのことはない。過去に彼が手がけたエドワード・オルビー作の「ヴァージニアウルフなんかこわくない?」や、ウディ・アレン作の「漂う電球」などを思わせる原典を尊重した作りになっている。
遡ってインタビューなどにあたってみると、古典を現代に甦らせるための仕掛けとしてケラが力を入れたのは、登場人物間の関係を付加したことで、それに伴ってか、ひとりひとりの人物のキャラクターに磨きがかかっている。
その結果、社会派のアジテーションは後退し、人間模様のドラマが随分と浮き彫りになった印象。どん底の人々を演じる役者たちの好演もあるのだろうが、場面場面で観ていて舞台上に登場していない人物のことまでもがふと気にかかったりするのは、ケラの工夫が効を奏しているのだと思う。
わたしが素晴らしいと思ったのは、休憩を挟んでの野外の場面で、屋内の閉塞感から解き放たれる野外の心地よい開放感だ。大仕掛けの舞台装置も去ることながら、傾く建造物や洗濯物など、遠近法を利用しているに違いない舞台の深い奥行きも見事で、そこに役者たちが立ち位置を替えるたびに、美しい構図が決まるのに感動した。降り出した雪が、ついには吹雪になる仕掛けも、視覚的にとても美しかった。(休憩15分を含めて3時間15分)※27日まで。
■データ
観終えるや、二本立てと予告されるナイロン次回作への期待が忽ち膨らむソワレ/渋谷BUNKAMURAシアターコクーン
4・6〜4・27
原作/マクシム・ゴーリキー  上演台本・演出/ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演/段田安則江口洋介、荻野目慶子、緒川たまき、大森博史、大鷹明良、マギー、皆川猿時三上市朗池谷のぶえ松永玲子NYLON100℃)、黒田大輔(THE SHAMPOO HAT)、富川一人(大人計画)、あさひ7オユキ、大河内浩、犬山イヌコNYLON100℃)、若松武史山崎一