(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝ロープ〟野田地図(NODA・MAP)第12回公演

野田秀樹約3年ぶりの新作だそうだ。3年前っていうと、前作は「オイル」だったか。でも、今年は、ソーホー劇場の英語劇「The Bee」があったぞ。それはさておき、その新作「ロープ」は、いくつかの意味が重ねられているかもしれないが、タイトルはプロレスのリングロープのこと。
弱小プロレス団体の掘っ立て小屋みたいな事務所とその脇に露天のリング。片隅には、さらに小さな小屋があって、その中にはどうやら先ごろ他界した人気レスラーの二世(藤原竜也)が引き篭っているらしい。仲間のレスラー(橋本じゅん)やレフリー(松村武)は、扉の下の隙間から食事を差し入れたりして、二世が出てくるのをまちわびている。しかし、それを毎食食べていたのは、こっそりとこの団体を取材にきていた、ローカルテレビ局のスタッフたち(渡辺えり子、三宅弘毅、野田秀樹)だった。
実は、露天のリングの下には可愛らしい少女(宮沢りえ)がひとりで棲んでいた。彼女の特技は、死んだ父親譲りの実況中継。なぜかやる気をみせた二世が、人気の悪役のレスラー(宇梶剛士)とのマッチメイクを承諾し、少女はその模様をリングサイドから流暢な調子で中継し始めるが。
さすがに、プロレスは暴力の象徴、という単純な図式ではないようだ。闘うこと自体に意味のない暴力という意味合いが込められているのだろうか。あるいは、ショーとしての暴力ということで、湾岸戦争以降の戦争を揶揄しているのかもしれぬ。
四角いジャングルの中でのプロレスが、やがて悲惨なベトナム戦争の泥沼へと変化していく過程がこの物語のハイライトだと思うが、驚くのはその明快さで、昔の野田秀樹の猥雑さからほど遠い。2時間というコンパクトな上演時間の制約もあるのかもしれないが、反戦のメッセージは拍子抜けするくらいにシンプルで、ストレートだ。
ただし、この判り易さというのが、今の野田秀樹を肯定する要素かと問われれば、大いに疑問がある。というのも、かつての夢の遊眠社を記憶するもの(つまり、わたしだ)には、野田地図の芝居に欠けているものを、常に意識してしまうからだ。それは、観客を巻き込む熱気である。それが、何に由来するものであったかといえば、彼の芝居にあった土臭くも、饒舌な猥雑さだったと思う。
時は流れ、野田も変われば、我々観客も変わったということをもっと明確に意識すれば、もしかしたら別の見方も可能かもしれない。しかし、野田秀樹の足跡は、その時代を知る者に、忘れがたいほど克明な記憶を残してしまっている。大げさにいえば、野田秀樹という才能が負わされた宿命のようなものかもしれないのだが。
洗練なのかもしれないし、形骸化なのかかもしれない。いずれにしても、かつてあった観客をも取り込んでしまう熱病のような豊穣さは、今回もほとんど感じられなかった。その内宇宙へと広がれる猥雑さがない今の野田秀樹の芝居には、やはり興奮することはできない。(120分)
■データ
2006年12月8日ソワレ/渋谷Bunkamuraシアターコクーン
12・5〜1・31
作・演出/野田秀樹
出演/宮沢りえ藤原竜也渡辺えり子(宇宙堂)、宇梶剛士橋本じゅん劇団☆新感線)、野田秀樹三宅弘城NYLON100℃)、松村武(カムカムミニキーナ)、中村まこと猫のホテル)、明星真由美、明樂哲典、AKIRA