(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝再生〟東京デスロック

ウェルメイドな芝居も勿論いいのだけれど、こういう出会いがあるから劇場通いはやめられないのだ。東京デスロックの〝再生〟である。東京デスロックは、2001年、多田淳之介、石渕貴士、夏目慎也の3人で旗揚げされ、現在はポツドールへの客演などでお馴染みの佐山和泉が加わっている。デスロック(死錠)という名を地で行くかのように、これまで死をテーマにした作品ばかりを上演してきたらしいが、今回の〝再生〟では生きることを描くと、作・演出の多田は公言している。果たして。
20畳ほどあろうかという畳敷きの部屋で、ラジオのニュースを朗読する女性。そこに、謎の男が男女の体を1体づつ引き摺ってきて、合計で9体運び込むところまでがイントロ。そこで一旦幕が降りて、ハイロウズの〝不死身のエレキマン〟が大音響で流れるオープニングがあった後、再び幕があがると、若い男女が底抜けに賑やかなパーティを繰り広げている。アイポッドにスピーカーを接続して大音響で音楽(RCサクセションモーニング娘。ハイロウズ電気グルーヴなど)を鳴らす中、酒盛りをしたり、踊ったりと、とにかく若者たちは陽気に騒ぎまくっている。しかし、やがて宴もたけなわとなったあたりで、ひとりまたひとりとその場に倒れていき、やがて全員が畳に横たわり、ぴたりと動かなくなる。そこまでが、約30分。
この最初の30分を観終えて、そうか、これは、冒頭のニュースの内容にもあった若者たちの集団自殺の話であったか、と気づく。しかし、問題はこれからだ。9人は再び起き上がり、なんと最初の30分が、音楽も台詞も同じまま、まったく同じ内容で繰り返されるのだ。それも合計で3度にわたって。
賛否両論は当然のことで、わたしの隣の女性は、明らかにこの繰り返しの単調さに苛立っていたし、他にもそういう観客は少なくなかったと思う。しかし、わたしは、1度目よりも2度目、そして2度目よりも3度目と、同じ内容を繰り返し観ながら、ぐいぐいとその世界に引き込まれていった。
繰り返すことの意味は、物語の中では特段明らかにされない。しかし、繰り返される度に薄暗かった照明が徐々に明るくなり、やや聴き取りにくかった役者たちの台詞が、次第にはっきりとしてくる。つまり、物語の輪郭が回を追うごとに鮮明になってくるのだ。この繰り返しによる刷り込みの効果は絶大で、やがて最初は気づかなかった登場人物間の微妙な機微のようなものまでが伝わってくるのは、この実験的な演出の効果だろう。
さらに、繰り返されることにより、次第に迫ってくる死(自殺)のイメージは強烈で、その危うさ、あっけなさ、不可解さが、観る者の心をじわじわと侵食していく。作・演出の多田による生云々のコメントはやはりある種のレトリックなのではないか。副題の〝REVERSE,REPLAY, RECYCLE〟によって観客に伝えられるのは、生の儚さであり、それを圧倒する死のイメージ以外の何ものでもないと思う。
それにしても、ひとつのサイクルの中での運動量が多い(ダンスなどが非常に激しい)ことから、それを3度繰り返すとなると、役者たちもさすがに最後はグロッキー気味だった。倒れた後姿の肩が苦しげな呼吸で激しく上下するのを見るのはいささか忍びない。とここまで書いて、もしかしたら、あれも多田の言う生のイメージのひとつなのかも、とも思えてきた。うーむ。(90分)
■データ
2006年10月30日ソワレ/小竹向原アトリエ春風舎
10・26〜10・31
作・演出/多田淳之介
出演/夏目慎也、佐山和泉、石橋亜希子(青年団)、佐々木光弘(猫★魂)、宮嶋美子(風琴工房)、円谷久美子(徒花*)、美館智範、山形涼士、坂本絢
照明/千田実(CHIDAOFFICE) 舞台美術/斉藤由夏 音響/藪公美子