(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

サディスティック・ミカ・バンドに関する極私的memorandum

・四代目のボーカリスト(過去は、ミカ、松任谷由実桐島かれん)を迎えて、サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)がまたもやリユニオンされている。すでに89年に桐島かれんを迎えたミカ・バンド(Sadistic Mica Band)〝天晴〟のときに落胆しているので、木村カエラを迎えた今回のミカ・バンド(Sadistic Mikaela Band)がどういう音を出すかは、実はあまり興味がないのだが、なぜか体の奥底でこのバンドの名を耳にするとムズムズするものがある。というわけで、いくつか自分のためのメモを記しておくことにする。
・その昔、〝平凡パンチ〟と〝プレイボーイ〟のグラビアは、中高生の憧れの的だったが、確か平凡パンチの方だったと思うが、そこに忽然と掲載された福井ミカ(後の加藤ミカ)のヌードが、思えばあらゆる意味でのファースト・コンタクトだった。
サディスティック・ミカ・バンドを最初に見たのはTV番組だった。(1972年頃)番組名は失念したが、確か2曲演奏の大盤振る舞いで〝サイクリング・ブギ〟と〝オーロラ・ガール〟を演奏。(この時は、最初期のメンバーで、すぐに抜けてしまう角田ひろがまだ在籍していた)わたしは、すでにその2曲をA/B面にしたデビュー・シングルを買っていた記憶があるから、デビューと同時にミカ・バンドのファンだったのだろう。ドーナツ・レーベルから出た真っ赤なジャケットに曲名が記されたジャケットのシングル盤は、今も押入れの隅にあるはずだ。
・とはいえ、アルバムはファーストもセカンドもリアルタイムで聴いていないのは、当時ティーンエイジャーでLPを買う小遣いにも窮々としていたからだろう。(まだレンタルもなかった)〝タイムマシンにお願い〟はラジオのヘビロテで聴きおぼえていたし、音楽雑誌で報じられたイギリスでの評判とか、クリス・トーマスが彼らに関心を示して、〝黒船〟のプロデュースをかって出たことくらいは知っていた。
・この時期、印象に残っているのは、アルバム外の曲で〝ハイ・ベイビー〟だ。可愛い歌詞と曲はなぜか心に焼きつき、この曲は長い間フェイバリット・ソングだった。後年、改めて聴いて、あまりにチープな音だったことにびっくりしたが、加藤ミカのつたない歌唱は、何度聴きかえしても色あせないキュートさがある。
・とまぁ、すでにお判りだと思うけど、わたしにとってのサディスティック・ミカ・バンドは、やはり雑誌のグラビアで出会った日以来、やはりミカなのだと思う。クリス・トーマスとの出会いで、加藤和彦と離婚することになったミカは、1975年イギリスへと向かう。その前後のエピソードは、後年、自らの半生を記した〝ミカのチャンス・ミーティング〟(宝島社)に詳しく記されている。
・1975年は、ミカにとって、サディスティック・ミカ・バンドにとって、大激動の年だったにもかかわらず、その間を縫って制作された〝HOT! MENU〟の素晴らしい出来は、奇跡のようなものだと思う。わたしが買った最初のサディスティック・ミカ・バンドのアルバムにして、最愛のアルバム。〝黒船〟の延長上にある曲、後のサディスティックスへとつながる曲、加藤和彦のポップセンスが前面に出た曲と、方向性はさまざまだけれども、いずれもクオリティが高い。わたしは、今もこのアルバムはよく聴く。
・加藤夫妻の離婚でバンドはあえなく解体。しかし、わたしにはもう一枚、フェイバリットがある。それが、〝Live in London〟である。〝黒船〟のリリースと同時に、クリス・トーマスの後押しもあって、ロキシー・ミュージックのサポートとして、サディスティック・ミカ・バンドは英国上陸を果たすが、その模様を伝える貴重なライブ・アルバムだ。といっても、音源はツアー・スタッフが記録用に録音していたカセット・テープなので、音的にはチープ。それに、ミカ・バンドは(豪華な顔ぶれのわりには)ライブ・バンドとはいい難い面もあって、驚くような演奏を繰り広げているわけではない。しかし、その収録曲からは、ジャパネスクのテイストを漂わせるポップセンスと元気なミカの存在感がライブの場でもしっかりと映えており、このツアーがサディスティック・ミカ・バンドのハイライトであったことをリスナーに伝えてくれる。
・思えば、クリス・トーマスとの出会いが、サディスティック・ミカ・バンドにとっての奇跡であり、悲劇でもあった。福井ミカに戻ったミカは、結局、クリス・トーマスとも別れ、ロンドンで料理学校に入学する。数年前、マガジンハウスの雑誌で、ミカが帰国して、日本のレストランでシェフをやっているということを知って、驚くと同時に、ちょっと嬉しい気持ちになった。
・ミカには、94年にリリースした〝Jaran Jaran〟という全曲作詞作曲というソロ・アルバムが存在するが、不覚にも未聴。今のわたしは、それを捜す日々である。96年に出た著書〝ラブ&キッス英国〟*1講談社)を最近入手したので、読むのを楽しみにしている

*1:後に徳間文庫にも入っている。