(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

関東無宿(鈴木清順監督/1963年)

【物語】
親分同士がもともとは兄弟分だった伊豆組と吉田組は、ここのところ何かと争いが絶えなかった。というのも、落ち目の伊豆組に対し、吉田組は日の出の勢いで台頭してきている。その勢いの差が、両者の間に摩擦を生んでいた。伊豆組の若頭鶴田光雄(小林旭)は、男気もあり、頭も切れる男であったが、親分の伊豆荘太(殿山泰司)が土建仕事のころがしで甘い汁を吸おうとする了見が、どうも気に入らない。そんな折、吉田組の子分ダイヤモンドの冬(平田大二郎)は花子(中原早苗)という女子学生と出会い、その若さと度胸の良さに一目ぼれする。しかし、花子は伊豆の子分鉄(野呂圭介)に売り飛ばされてしまった。吉田組からの復讐を心配する鶴田は、冬と接触しようとするが、冬には一緒に暮らす姉がおり、それが女博徒の辰子(伊藤弘子)だったことに驚く。三年前、旅先の賭場で偶然辰子を知った鶴田の胸の中で、彼女は忘れられない人になっていた。辰子はイカサマ博打師おかる八(伊藤雄之介)の情婦で、ふたりで荒稼ぎをしていた。鉄をひっぱって花子を探しに行った晩、鶴田は宿屋で、そこの賭場におかる八が来ていることを知る。辰子への思いがよぎり、おかる八に勝負を挑む鶴田だったが、インチキ賭博の天才ともいうべきおかる八に返り討ちにされてしまう。その間も、伊豆組と吉田組の緊張関係は高まり、ついに鉄がダイヤモンドの冬に刺されたという知らせが入る。鶴田の無能をなじる親分の伊豆荘太に愛想を尽かした鶴田は、賭場で因縁をつけられたのを幸いとばかりに、吉田組の息がかかった二人を切って捨て、その足で吉田組に乗り込み、親分の吉田大竜(安部徹)に談判する。しかし、吉田は一枚上手で、したたかにもダイヤモンドの冬をそそのかし、伊豆を殺させてしまう。
【メモ】
・昭和30年代日本の標準的な街頭風景が、セットやコンピューター・グラフィックでなく、リアルでふんだんに登場するのが素晴らしい。町並みもバスもポストや電話ボックスも、すべてが古い古い。
・〝侠客〟という言葉は、もはや死語だろう。それを、女子高校生の3人組が口にするのだから、相当に時代を感じさせる。
・任侠劇に花を添える女子高生3人組のうち、松原千恵子はぴちぴちではじけそうな女子高校生を可愛く演じている。彼女のデビューは、60年頃のはずで、後に日本テレビの〝ある日わたしは〟(石坂洋二郎の原作で、松原はヒロインの城山ゆり子役。1967年10月放映開始)などで大ブレークするのはまだまだ先のこと。ほのかに肉感的な存在感が印象に残る。
小林旭は、やくざの旧弊な世界を一身に背負ったような役柄で、硬派を演じているが、若さからくる生硬さのようなものがあって、どこか歪に見える。数年前に、年末の歌番組で格好をつけているところを、ズレててどこか変だと思ったのを思い出した。上手く説明はせきないが、この銀幕の二枚目には、どこか奇妙なところがあるのかもしれない。
伊藤雄之助が演じる凄腕のイカサマ師は、殺気のようなものを孕んだ存在感があって、曲者揃いの脇役陣の中で、ひときわ異彩を放っている。彼が得意とする、反射を使ったイカサマを〝おかる〟ということを、この映画で初めて知った。サシの勝負で、最初は負けていたおかるだが、寿司醤油を使って勝負を逆転し、鶴田をオケラにする。
・終盤、鶴田が賭場でチンピラたちを切って捨てるシーンは、鈴木清順の美学が爆発するこの映画のハイライトシーンで、障子が倒れた向こう側に展開する色彩や雪は、タランティーノが〝キルビルvol.1〟で引用したことでお馴染み。ここは、昔のオールナイトだったら、拍手の嵐となる場面だ。
・ラストは、刑務所の独房の中で正座する鶴田の姿。意図は、無常観を醸したかったのかも。しかし、これで終わりかよ、と突っ込みたくなる半端なエンディングだ。こういう終わり方、かつての邦画にはよくあった気がするが。
【データ】
東京国立近代美術館フィルムセンター[日本映画史縦断①日活アクション映画の世界]2006年8月30日PM5:00からの上映
監督/鈴木清順、原作/平林たい子(〝地底の歌〟)、脚本/八木保太郎、撮影/峰重義、美術/木村威夫、音楽/池田正義、出演/小林旭松原智恵子、平田大三郎、中原早苗伊藤雄之助、野呂圭介、江角英明、河野弘、井東柳晴、柳瀬志郎、長弘、衣笠真寿男、佐々木景子、木島一郎、殿山泰司、信欣三、進千賀子、伊藤弘子、高品格、安部徹