(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝立待月−隣の女−〟東京タンバリン(Mitaka 〝Next〟 Selection 7th)

さて「ワルツ」からのつづき。
100の家族がいれば、そこに100のドラマがあるのは当然で、東京タンバリンという劇団のひとつのキーワードであるらしい〝ナンセンスホームドラマ〟も、またそのいうもののひとつを掬い上げる、という試みなのかもしれない。むろん、ドラマそのものが地味であったり、平凡だからダメというものではない。要は、そこに出現させたドラマで、作り手側の意図をどう伝えるかが大事なのであって、それがうまくいかなかったり、中身が空ろだったりすると、退屈なまま終わってしまう。わたしにとっての〝ワルツ-隣の男-〟は、まぁ、そんな作品であったというわけだ。
ところが、同じ日のソワレに観た〝立待月-隣の女-〟は、まさに〝ワルツ〟とは似て異なる相似形のような舞台であった。こちらは、マンションに越してきたばかりの姉妹の物語である。
スマートで美形の妹、蓬田美咲(ミギタ明日香)は、手作り石鹸をビジネスとして立ち上げている。販売会社の担当瀬戸(本間剛)のアドバイスを受けながら、バイトたち(島野温枝、多島冴香、鈴木里見、菊地未来)に囲まれて石鹸をつくる明るく賑やかな毎日。彼女は、養成所に通いながら俳優になりたいという夢も持ち続けている。一方、姉の蓬田美晴(佐藤恭子)は、図書館の司書をしていて、肥満の体に地味な人柄。ふたりは、まったく正反対の姿、そして生き方をしている。
物語は、この姉妹の日常を対照的に描いていく。かわいい美咲には、小笠原(森啓一郎)という恋人までいる。それに対して、美晴は妹に煙たがられ、ついにはイジメまで受ける始末。この陽のあたる人生と、日陰の人生は、しかし、いとも簡単に逆転するのである。
いみじくもマンションに出入りする青年岩田(草野イニ)が劇中で指摘するように、美咲と美晴のふたりは実は似ているところがある。そして、物語の終盤、美咲のビジネスが挫折し、美晴に本好きの恋人が出来ると、それまでのふたりの境遇はまったく入れ替わってしまうのだ。
そこに登場するのが、佐藤とミギタの配役を入れ替えてしまう演出で、二人の女優の好演もあって、なるほど、この「立待月」ではそれが成功している。しかし、ここで思い出されるのは「ワルツ」にあった同じ演出だが、どう考えても、単独作品で考えた場合、あちらは失敗だろう。というか、理解不能に近い。2つの対の作品を結び付けたかったというのは、わからないではないのだが。
そんな大胆な演出もあって、この「立待月」は人間の考える幸福など、いとも容易く反転してしまうおのだということを描いて面白いのだが、しかし、すべてが成功しているかというと、疑問点もある。その代表的なものが、大田景子の幽霊役で、彼女の存在はいったい何が言いたかったのか、最後まで判らなかった。2つの芝居を同時進行させるという演劇的な冒険心には心から敬意を表したいのだけれど、一部脚本の熟成不足が残されているのは否めないところだ。(100分)


■データ
2006年9月9日ソワレ/三鷹市芸術文化センター星のホール
9・8〜9・18