(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝プレイヤー〟イキウメ第7回公演

なにしろ、6月のG−upプレゼンツ、赤堀雅秋演出の〝散歩する侵略者〟(新宿スペース107)が強烈だった本家イキウメの新作である。春の短篇アンソロジー以来、来年までお預けの筈だった本公演が、短期間ながら実現したのは嬉しい。
イントロダクションで、あるNPO法人を代表する時枝(奥瀬繁)はラジオ番組に出演し、自分たちの活動について、女性司会者(池上ゆき)からインタビューを受ける。その内容は、過去へと遡行する催眠術で、生前にまで至ったというある女性の神秘体験をめぐるものだった。場面はスライドし、ある喫茶店の中。客の青年たちが、アルバイトのウェイターと話している。彼らは、3か月前に行方不明となった天野マコトという女性をめぐって、繋がりがある。ウェイターの元也(緒方健児)は彼女の弟、一方の客ニ宮(國重直也)は友人で、もう一方の佐久間一郎(宇井タカシ)はボーイフレンドだった。彼らは最近、意識が途切れたり、友人が奇妙なことを口にするのを目の当たりにするという奇妙な体験をしていた。
自宅の留守番電話に残された奇妙なメッセージが、姉の行方をつきとめる手がかりになるのではないかと思った元也は、マコトと付き合っていたことのある警察官の桜井(盛隆二)にその録音テープを渡し、相談を持ちかける。それを手がかりに、警察は埋められたマコトの死体を発見するが、その間も、マコトの友人たちの間で、奇妙な出来事は続いていた。マコトの関係者たちと接触し、彼らを死者とのコンタクトを目的としたセミナーへと引き入れていく謎のNPO法人が暗躍する一方で、マコトの思い出を内側に抱える桜井も巫女役の恵(岩本幸子)の誘導で、瞑想体験の非日常的な世界へと引き寄せられていく。
自然と超自然。その境界線は、一見明らかなように思えるが、実はこれほど曖昧なものはない。そして、いつの世にも新興宗教や自己啓発セミナーが繁盛することを思えば、やはり向こう側への憧れは、人間にとって根源に近いものがあるのかもしれない。イキウメの新作は、そのあたりをとっかかりに、冒頭から例によって日常と非日常の壁をいとも簡単に突き崩していく。
聡明で、人をひきつける魅力にあふれた女性マコトは、深い瞑想体験を通じて、向こう側の世界への到達方法を発見する。それは、人類を個という呪縛から解き放つ究極の方法でもあった。タイトルになっているプレイヤーは、向こう側に行ってしまったマコトからのメッセージを受信する彼女の親族や友人たちである。そんな彼らを不可解な現象が襲う前半は、本当に怖い。
そして後半、最初は半信半疑だったプレイヤーたちも、不思議な体験を重ねていくにつれて、マコトのいる向こう側への旅立ちに思いを募らせていく。しかし、当然のことながら向こう側への憧れとはまた別のベクトルも存在する。すなわち、常識、日常などによって、こちら側に留まろうとする力である。そんな二つの選択肢の間にはまさに混沌が広がっていくのだが、それに拍車をかけるのが、大衆を超自然の方面に手招きするNPO法人の胡散臭さである。桜井を必死にこちら側に引き止めようとする同僚の刑事八雲(浜田信也)とともに、観客もまたい混沌の中を引きずり回された挙句に、自然と超自然を分ける曖昧な岐路に立たされている自分を発見する。
勢いのある劇団の充実した舞台だと思うが、ただ物語の着地点には、まだ迷いのようなものがあったのではないか。時枝が八雲に対し、大袈裟に声を張り上げる幕切れはややくどく、超自然を懐疑する側に引っ張り過ぎている気もした。そのワンシーン前の、時枝と恵のやりとりで幕になった方が、この作品の世界観は素直に呑み込めたように思えるのだが。
(100分)


■データ
2006年8月31日ソワレ/新宿サンモールスタジオ
8・31〜9・3
脚本・演出:前川知大