(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝メメント〟

記憶のメカニズムは、不思議であると同時に不可解でもある。クリストファー・ノーラン監督の「メメント」の主人公レナード(ガイ・ピアーズ)は、短期記憶に深刻な障害をもっている。妻を目の前で殺された時に負った精神的、肉体的な衝撃で、数分前の記憶を持続することができなくなってしまったのだ。その彼が、失われた記憶を辿り、妻殺しの犯人に復讐をしようというストーリーなのだから、これは主人公ばかりか観る側にも、一筋縄じゃ行かない手強さがある。
復讐のターゲットについて足で調べた成果も、時間がたつと彼の頭の中から蒸発するように消えてしまう。そこで、彼はメモを残すのだが、それとて油断すると他人に改竄されてしまう。そこで、究極の記録方法として、彼は自らの肉体に情報内容を刺青で入れておこうと思いつく。その結果、彼の体には、いたるところに情報の断片が散りばめられている。
主人公のレナードは、映画の冒頭、ひとりの男を射殺する。殺された男テディ(ジョー・パントリアーノ)は、時間を溯るにしたがって、警察官を名乗り、主人公に付きまとっていたことが明かされていく。また、彼にはナタリー(キャリー=アン・モス)という協力者もいる。彼らが、自分にどうかかわっているのかを思い出せない主人公。彼には、元保険会社の調査員で、現在の彼と同じ症状を訴える請求者サミー(スティーブン・トボロウスキー)を虚偽の申請として退けた経験があった。しかし、その記憶とて、主人公は自分の過去と混同していることが観客に示唆される。やがて、テディやナタリーに思惑も、おぼろげながら浮かび上がってくるが、そこには彼の行動を否定するような、恐るべき事実が隠されていた。
このように、記憶障害という主人公のハンディキャップだけでも十分に犯罪ドラマとして異色なのだが、さらにそれを逆回しで観客に見せようという捻くれたアイデアが、ノーラン監督の企みだ。タイトルバックのイントロダクションの部分のみ純然たるフィルムの逆回しで、あとは短いシークエンスが、時系列の逆に並べられている。おまけに、シーンの狭間には、またさらに過去の断片がモノクロの画面で挟み込まれているといった複雑さなのである。
この時間の逆回転というやつは、中にはすんなり受け入れることができる人もいるようなのだが、わたしの場合はまったくだめで、何度も映画を見直したばかりか、DVDの映像特典としてついている逆再生までやってみたが、それでもいまひとつピンと来ない。実は、これを書いている今も、果たしてこの映画をきちんと理解できているかどうかも、正直怪しいのだ。
なるほど、これは並みの推理小説以上に、ミステリアスな映画といっていいだろう。しかし、本編が真の意味でミステリ映画かというと、それは違うように思う。非常に複雑で手ごわいジグソーパズルが、必ずしも謎解きの閃きや推理力を必要としないのと同様に。
途中に手がかりもあるようなないような、クライマックスのカタルシスもあるようなないような、無理にミステリ映画として捉えようとすると、非常に論評しにくい、難しい映画という印象をもった。それゆえ、なんども見直す気になる(見直さざるをえない)謎を孕んだ映画であることは間違いないのだが。[?]

(ネタばれ)
こうではないかという事実を時系列に箇条書きにする。でも、自信はまったくない。
1.保険屋時代のサミーという詐欺師と出会ったが、彼に妻はいない。
2.妻殺しの犯人は2人、うち1人はレナードが浴室で射殺。もう一人はレナードを殴って逃亡。 しかし妻は死んでいない。担当刑事はテディだった。
3.その後、インシュリン多量投与で妻は死亡する。実際に注射をしたのはレナードである。(サミーの記憶との混同)
4.テディの協力で、逃げていたジョン・Gを殺害する。しかし、すぐにそのことを忘れてしまう。後によく主人公が取り出す胸を指差し笑うレナードの写真は、この時テディが撮影した。
5.テディに利用されてジミーを殺害。
6.ナタリーの家でドッドの話を聞く。 ナタリーはドッドをレナードに始末させるため、芝居をうつ。
7.ナタリーからジョン・Gのニセの情報を受け取る。
8.テディを殺害(冒頭のシーン)。ジミーを殺したせいでドッドに追われ、麻薬がらみの事件に巻き込まれるものの、真実を知るテディを殺してしまったことによって、レナードはジョン・Gを未来永劫にわたって探しつづけることになる。