(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝学習しない女〟オッホ

かなりお気楽な人生を送っているわたしだが、今から溯ること四半世紀前は、今の百倍はお気楽な日々を送っていた。当時は、土曜も半日会社があって、昼からは新宿あたりのレコードショップや書店を冷やかしたりして、のんびりとした午後を過ごしたものだった。その頃、通りがかったシアタートップスのマチネにふらりと入るのがちょっとした楽しみだった。わたしの移動ルート上に位置していたシアタートップスは、そんなときまさにうってつけのロケーションだったのである。
つい先日のこと、偶然休日の午後に新宿で2時間ほどの時間が空いたので、本当に久しぶりにシアタートップスのマチネに飛び込んでみることにした。やっていたのは、オッホという劇団の「学習しない女」という芝居である。オッホという劇団については寡聞にして知らないが、10年以上のキャリアがあるようで、HPを検索してみると、ここ数年は年1回くらいのペースで芝居をうっている。
主人公の矢島(入江聡子)は、売れないTVの脚本家である。彼女は、ディレクターからの強引な依頼で、深夜枠のドラマの脚本を書き下ろすことになった。テーマは、学習しない女。彼女の中でドラマが膨らんでいく中、フィクションと現実が交錯しながら、さまざまな学習しない女の物語が繰り広げられていく。
入れ子の構造や現実と虚構が錯綜する物語は、いかにもこの手の小劇場の芝居らしさを備えているが、正直言ってあまり面白くはない。脚本は、作者の黒川麻衣の経験を踏まえたもののようだが、そこに登場するエピソードのひとつひとつが凡庸であり、イメージが膨らんでいかないからだ。またそれを演じる役者たちにも突出した個性を見出せないのも物足りない。
ただひとり、主人公の家に(何故か)居候(?)している男樫山(人見英伸)に不思議な存在感があるのだが、それとて思わせぶりなまま物語は幕となってしまう。どうも、作品のテーマやそれの咀嚼の仕方が、演出家や役者たちの中だけで完結してしまっているのではないだろうか。長年芝居の世界に身を置いた演劇人たちの、「こんなもんだろう」という馴れ合いの空気ばかりが伝わってくる寂しい舞台でありました。

■データ
2005年11月23日マチネ/新宿シアタートップス