(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝越前牛乳〟カムカムミニキーナ旗揚げ15周年記念公演

かつては、同じ公演に何度も足を運び、買ったビデオが擦り減るほどどっぷりと夢中になって観たというのに、野田秀樹の芝居との相性が悪くなって久しい。夢の遊眠社を解散し(最終公演は1992年)、イギリス留学から帰ってNODA・MAPを結成した頃(第1回公演は1994年)を境に、いつの間にかその舞台に付いていけなくなってしまった。こちらの老化現象なのか、それとも野田の芝居に変化があったのか。まぁ、その両方なのだろうが、先日久々に足を運んだ往年の名作「走れメルス」でも、やはり自分と舞台との距離感の隔たりのようなものには、如何ともし難いものがあった。
そんな折、「これって、野田秀樹だよ」と思わず手に汗握る芝居に出会った。いや、正確にいうなら、「かつての野田秀樹の芝居と同じ興奮をわたしにもたらしてくれる芝居」ということなのだが。カミカムミニキーナの「駅前牛乳」である。早稲田の劇研出身のこの劇団、不覚にもこれまでまったくノーマークだった。なんと、今回の公演が旗揚げ15周年というのだから、かなりの古株だ。主宰で役者と演出をこなす松村武は、史上最年少で明治座の脚本・演出を手がけたというのだから、商業演劇に関してはかなりの才人だと思われる。今回の「駅前牛乳」は劇団初期からの代表的な作品らしい。
舞台は戦乱の嵐が吹き荒れる群雄割拠の時代。北陸地方の山中の牧場で少女ハイジ(藤田記子)と子牛ドナドナ(佐藤恭子)は平和に暮らしていた。ところが、そんな牧歌的な日々にも、ある時ピリオドが打たれる。戦渦に巻き込まれた彼女は、亡くなった祖父の遺言でドナドナをつれて市場へ向かう。そんな彼女の前に幸福な未来を売る越後屋八嶋智人)とバラ色の過去を売る越前屋(松村武)など、ハイジとドナドナの争奪戦を展開し、彼女らの運命を翻弄していく。
言葉(台詞)の連想から破天荒な物語を構築していくという本のつくりを始めとして、舞台上で繰り広げられる奔放な言葉遊び、めまぐるしい動きまで、これは間違いなく夢の遊眠社が全盛を誇っていた頃の、あの熱気である。しかし、そう感じる理由は、遊眠社恋しやの懐古趣味なのかというと、どうも少し違うような気がする。野田の芝居はややもするとシュールな方向へと向かい、観客を異世界へと連れ去り混沌と眩惑するのに対し、村松のそれは、あくまで現実の世界にとどまり、大衆性に足を下ろして物語を繰り広げるような親しみ易さがある。
でも、実は正直、幕開きの15分ほどは時代や舞台設定などの状況説明がくどく、出演者たちの歌やダンスがあまり上手くないこともあって、なかなか身を乗り出す気になれない。ところが、ハイジが市場で越後屋と越前屋に遭遇するあたりから、舞台はにわかに賑々しくなる。八嶋が舞台を駆け回り、マシンガントークで共演者に執拗に絡んでいく一方で、松村の華のあるコメディリリーフぶりも素晴らしい。つっこまれ、いたぶられまくるヒロインの藤田も、たじたじになりながらどこか輝く健気さがあって、観客の視線を釘付けにする。
また、山崎樹範や吉田晋一らの脇役陣も、脇役に甘んじることなくスポットライトを浴びる場面があって、これがまた芝居の中でいい意味での箸休め的な役割を果たしている。牛を演じる佐藤恭子の不思議な存在感も、なかなかの印象を残した。この劇団を見逃してきたこと不明をなんとも悔やむばかりだが、いい芝居を見せてもらった。
そんなこんなで、また懲りずに本家野田秀樹の「贋作・罪と罰」でも観にいくか、と思っている今日この頃である。

■データ
2006年11月2日/新宿シアター・アプル