(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

大高清美Band : Metro Music Oasis vol.4 @地下鉄銀座駅〝銀座のオアシス〟

かつてJR大阪駅の前で、地元のあんちゃんたちとおぼしきバンドが、電源車を傍らに停めて、ストリートライブをぶちかましていたのに出くわしたことがある。もう夜もいい時間で、歩いているわたしもちょいとほろ酔い気分だったのだが、彼らが演奏しているノリのいい〝クロスロード〟を聴いて、ほぅ、ロックのストリートライブもいいものだな、と思った記憶がある。
しかし、同じストリートライブでも、これはまた雰囲気がまったく違う。東京メトロ銀座駅の地下コンコースの片隅が会場で、天井も低ければ、すぐ横をサラリーマンやOLも行き交っている。Metro Music Oasisという東京メトロ主催のイベントで、4回目にあたる今回は、2夜を2アーティスト(大高清美新澤健一郎)がそれぞれ2セットづつのライブを行った。
わたしが足を運んだのは、オルガン・プレイヤーの大高清美が率いるグループの方で、告知用のポスターに載ってた紹介文にちょっと興味を惹かれたからだ。すなわち、〝彼女のオルガンプレイは、既成概念を超えている。ジャズもロックもプログレもファンクも飲みこみ、ある時は叙情的に、ある時は変拍子を多用したメカニカルなプレイ、その二面性が同時にサウンドとなって押し寄せる。〟(ポスターから引用)ま、早い話が、〝プログレ〟の二文字につられたのである。
大高清美の名は、不勉強なことに初耳なのだが、プログレのフィールドでもあまり話題になったことがないのではないか。しかし、この日の演奏を聴いてみて、乾いていながら、どこか湿った感じのオルガンの音色は、なるほどルーツとしてのプログレを十分に感じさせるプレイヤーだと思った。ジャズ、フュージョンのキーボードというよりは、オルガンへの拘りが感じられ、どことなくブリティッシュ・ロックにルーツがあるような気がする。
ソロのパートになると、結構重量感のあるプレイを展開し、テクニック的にも十分な手ごたえがある。彼女の書く曲は、フュージョン、クロスオーバーにありがちな曲展開が目立つものの、ここぞという場面には、印象的なフレーズがさりげなく飛び出してくる。すでに5枚にも及ぶリーダーアルバムをリリースしているという自信にしっかりと裏打ちされた演奏ぶりにも好感がもてた。
この日のメンツは、大高清美(org)、矢掘孝一(g)、岡田治郎(b)、菅沼孝三(d)のカルテットで、バックのメンバーたちが所属するFragile、Prismなどの音ともシンクロする演奏だったが、予定調和のフュージョン・サウンドをぶち壊すかのように、菅沼がここぞという場面にくると、大胆不敵なソロパートを繰り広げてくれたのが愉快だった。菅沼のドラムというと、プログレ・ファンとしては、Blackpageでの破天荒なドラミングが強烈な印象に残っているが、この日の演奏も、ややもするとリーダーの大高をも食ってしまうほどの存在感を誇っていた。
大人の町銀座で、夕方の雑踏を横目に聴くロック(それもプログレ)、なかなかいいものでありました。

ちょっと乱暴な物言いになるやもしれぬが、未熟さが醸し出すテイストというのがあるように思う。例えば、どこか青臭く、ぎこちない中にも、芝居本来の原初的なエネルギーが伝わってくるような芝居、とでもいったらいいだろうか。そういう芝居が好きで、かつての山の手事情社やZazou Theaterといった大学の劇研出身の劇団に、よく足を運んだものである。早稲田大学の大隈講堂裏の怪しいエリアにある劇研のアトリエにも、行ったっけなぁ。
最近でいえば、双数姉妹からもやはりそんな懐かしさのようなものを感じたけれど、彼らの芝居自体は、かなり洗練された完成度の高いものだった。その点、今回初めて観る〝拙者ムニエル〟には、そんなプリミティブなテイストが非常に濃い。いや、ずばり言おう。フレッシュで元気いっぱいな芝居ではあったのだが、しかしどこか稚拙さが前に出てくる。いや失敬、決して彼らの芝居を腐しているわけじゃなくて。
彼らの「FUTURE OR NO FUTURE」は、主人公のマルオ(村上大樹)が、原作、演出、主演を自らがこなし、大人の恋愛をテーマにする宣言の場面から、物語の火蓋が切って落とされる。小さな劇団を主宰するマルオは、ある日中学時代のあこがれの同級生ヨメコ(町田カナ:reset-N)と再会し、会ったとたんにふたりは恋におちる。まさに奇跡とも呼ぶべき偶然の再会で始まったマルオとヨメコは、めでたく結婚するが、おたくでコンプレックスの固まりのマルオとミス日本に輝くヨメコでは価値観が合うはずもなく、たちまちのうちに離婚の危機が訪れる。
そこで、マルオには、ふたつの可能性が提示される。すなわち自らを悔い改め、再度切磋琢磨して、再びヨメコにプロポーズを捧げるフューチャー。一方は、自暴自棄に陥り、滅茶苦茶をやった挙句に、すべてを失うノー・フューチャー。う×こから作られた二体のクローンが、フューチャー、ノー・フューチャーというマルオのふたつの可能性を辿り始める。
とにかくエネルギッシュ。役者たちも、ほとんどが大味な芝居ぶりにうつるのだが、それを強引なストーリー展開で物語の大車輪を廻していく。隙間のない展開は、やや息苦しい感じもあるが、芝居としての密度は高い。結構、いきあたりばったりの展開と思わせておいて、最後はきちんと着地するあたりも、作・演出の村上大樹はなかなか冴えている。
そうなると、最初は観ていられない場面もあった役者たちに輝きが感じられるようになるから不思議だ。とりわけ、負け犬OL役がはまっていた成田さぽ子が面白く、終盤はいい芝居をしていたように思う。ギャグは、質よりも量という感じでしょうか。それでも、これだけの物量作戦でこられると、さすがに圧倒される。それなりに楽しめた初めての拙者ムニエルでした。
蛇足だけれど、わたしが足を運んだのは初日で、この日は入場料が500円安かった。こういうのは、ちょっと嬉しいね。

■データ
2005年9月29日ソワレ/新宿シアタートップス