(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝トーキョーあたり〟劇団健康vol.15

芝居の中でのスライドや映像を用いる仕掛けには、正直違和感を覚えると思ってきた。第三舞台も全盛期にタイトルバックで使っていたし、NYLON100℃でもお馴染みの手法だが、これがどうにも馴染めない。先般は、シベリア少女鉄道で酷い例を見せられたばかりだ。しかし、こいつは笑えた。劇団健康の『トーキョーあたり』のプロローグである。ケラその人が自ら登場する短篇映画で、宮藤官九郎三谷幸喜ら人気作家へのコンプレックスや、自作に対する厳しい世評を、見事にお笑いに料理している。なんとその後、本編中にも、ケラ本人が登場して、作中人物ときわどいやりとりをするという徹底ぶりである。
さて、その12年ぶりの復活となった劇団健康だが、今年のケラはまるで演劇の神様に憑かれたように芝居に取り組んでいる。NYLON100℃の本公演があって、二つのKERA・MAPがそれに続き、今度は健康の復活である。NYLON100℃を健康の発展型と見るファンは多いはずで、かくいうわたしもそんな一人だった。しかし、この『トーキョーあたり』を観ると、なるほどケラが健康を復活させたくなった理由もぼんやりと判ってくるような気がする。
舞台上では、締め切りに追い立てられる脚本家と監督が、ふたりで映画のストーリーを練っていくというシチュエーションをもとに、ふたつの物語が交互に進行する。ひとつは、嫁に行った娘を東京に訪ねる老夫婦の物語。そして、もうひとつは、何でもやる課で定年まで勤められた模範的な公務員が、ガンの宣告を受ける。やがて、ふたつの物語は交錯し、役者が入れ替わったりしながら、息子夫婦殺しや無差別テロといったとんでもない方向へと転がっていく。
小津安二郎の「東京物語」と黒澤明の「生きる」を下敷きにしているが、正直、原典の印象は薄い。というのも、ナンセンスやブラックなコメディ感覚で綴られていくコント集のアクの強さが前面に出ているからだ。そこには最近のNYLON100℃では洗練という名のもとに薄まってしまった感のある強烈な毒がある。とりわけ三宅弘城演じる女性や、手塚とおるの世界征服を企む公務員の存在感は強烈で、かつ魅力的といっていいだろう。ケラが健康を復活させた理由も、一種の原点回帰願望にあったのではないか。役者でいえば、健康解散後OLをやっていたという新村量子の異形ぶりも健在で、それ以外の犬山イヌコ、大堀こういち、手塚とおる藤田秀世峯村リエみのすけ、横町慶子もいいチームワークを見せてくれたと思う。とにかく軽やかに暴走していく役者たちの姿は、見ていて本当に楽しい。
しかし、コントのコラージュとでも呼びたくなるようなハチャメチャな展開の中から、さりげなく〝家族の崩壊〟というテーマを浮かび上がらせるあたりは、さすがにケラ。カーテンコールで、いい歳をしたおとなたちがやる事じゃない、と自嘲したケラだが、自宅に帰ってプログラムに掲載されたNYLON100℃の次回公演を見たら、な、なんとかつて劇団健康が上演した「カラフルメリイでオハヨ」が挙がっているではないか!健康のナンセンス路線を、NYLON100℃という器にどう盛ってみせるのだろうか、想像しただけでドキドキする取り合わせだ。

■データ
2006年8月26日ソワレ/下北沢本多劇場