(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝いのうえ歌舞伎・吉原御免状〟SHINKANSEN☆PRODUCE

思えば遠くへ来たものだ。いやなに、劇団新感線のことである。手もとの記録をひっくり返すと、わたしが初めて彼らの芝居を観たのは、1988年10月新宿シアター・トップスである。チケットの控えには、〝東京公演第2弾〟とあり、演目は「宇宙防衛軍ヒデマロ3」と書かれている。古田新太はすでに主役として堂々たる芝居をしていたけど、羽野アキなんて、まだ開演前には客席でコロッケ売ってたもんなぁ。まだまだ商業演劇よりは、学芸会との距離の方が近い感じで、とにかくバイタリティと笑いで押し切る若さが売りの劇団だった。
それから17年目が過ぎ、ここ1年の間に東京で新感線の芝居がかかった小屋は、日生劇場1回、帝国劇場が1回、そして青山劇場が2回。いやはや、すごい出世ぶりである。もちろん、その時間の隔たりからは、さまざまな成長がうかがえるわけだが、彼らのルーツであり、最大の売りでもある大衆演劇の醍醐味と、こてこての笑いのセンスが失われていないのは、すごいことだと思う。
さて、昨年の末から今年にかけての新感線は浮き沈みがあって、春に「SHIROH」というとてつもない傑作を放つ一方、続く「荒神(ARAJIN)」ではジャニーズに魂を売ったかと悪口が囁かれた。今回の「吉原御免状」は、堤真一を主演に招くということもあって、当然ファンの間での期待値は高い。ただひとつの不安材料は、劇団初の原作もの(故隆慶一郎の同名の小説が原作)であるということだろうか。
賑やかな江戸の花街吉原。そこに、西からひとりの若武者が訪ねてくる。彼の名は松永誠一郎(堤真一)。彼は、父親の遺言にしたがい、この吉原にやってきた。純真な心の持ち主であるが、剣にかけては神がかりの腕前。街の主である幻斎(藤村俊二)の後ろ盾もあって、吉原は町をあげて成一郎を歓迎し、人気を二分する花魁の勝山(松雪泰子)と高尾(京野ことみ)にも気に入られる。ところが、そんな誠一郎の命を狙う集団があった。柳生義仙(古田新太)率いる裏柳生の一群であった。彼らは、なぜ誠一郎の命を狙うのか?そしてまた、誠一郎と吉原を結びつける世間に知られざる秘密とは?
不勉強なことに原作には目を通していないのだが、想像するに伝奇小説的な色合いが強いようで、そういう意味では破天荒やサプライズを大胆に使う新感線の芝居にはマッチするという計算が最初にあったのではないか。なるほど、ある剣豪と結びつく誠一郎の出生の秘密や、吉原誕生の秘話、そして影武者徳川家康のエピソードまで飛び出す盛りだくさんの伝奇的要素は、いかにもいのうえ歌舞伎向けの題材だといえる。
それでいて、どこか盛り上がりを欠く印象があるのは、内容の割には上演時間が短いこと(いや、正味3時間はそれ自体十分に長いのだが)と、やはり隆の原作がどこか中島かずきいのうえひでのりの演出に微妙なズレがあるからかもしれない。隆の原作と、新感線の芝居は、似て異なるもの、ということなのだろうか。
役者でいえば、古田新太が悪玉として久々に豪快で切れのいい動きを見せてくれるが、堤真一にそれを上回る善のパワーがいまいち感じられないのが物足りない。松雪、京野という女優陣が、華となってかなり主役を盛り立てようとしてはいるのだが。
さらにキャステイングについては、藤村俊二の幻斎役にもやや疑問がある。存在感に独特の味があることは十分に認めるのだが、あの役は重すぎる。その傍らでは、新感線の役者たちが軽い役を見事に演じているだけに、それが目立ってしまう。肝心の場面で幻際の存在感が希薄になるのは、大きな疵だと思う。
といった具合に、期待値に比しては、厳しい評価にならざるをえないのだが、それなりに楽しめる新感線の舞台であることは、言うまでもない。ま、木戸銭が10000円を越えるのだから、客としてそれくらいの文句は言って当然だろう。個人的に印象に残ったのは、吉原の町の広がりを回転舞台で上手く見せたところだ。舞台中央にしつらえたスロープ(そこを堤が駆け降りたりする)の使い方も良かった。
なかなか小さな劇場では採算のとれにくい劇団になってきているとは思うが、このあたりでコアな新感線の芝居を観てみたい気がする。それも、劇団のオールスターキャストで。そう思うのは、わたしだけだろうか。

■データ
2005年9月8日/青山劇場