(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝エンジェル・ダスト〟石井聰互監督(1994)

この「エンジェル・ダスト」が公開された1994年当時は、まだ「羊たちの沈黙」の余韻さめやらない時代であったように記憶している。サイコ・スリラーに熱狂していたファンのひとりとして、この映画の複雑な面白さに舌を巻いた記憶がある。その後、時代も変り、エンタテインメントの世界におけるサイコ・スリラーの位置も微妙に変化してきた。ほぼ10年ぶりにこの作品を観直してみて、その印象がどう変るのか、自分でも興味があった。
毎週、決まった曜日に都心の通勤電車の中で起きる、女性ばかりを狙った殺人事件。捜査本部が招集され、須磨節子(南果歩)は異常犯罪性格分析官(プロファイラー)として捜査陣に加わる。共通するのは一見通り魔による無差別殺人のような手口だったが、節子はそこに共通項があるのではないかと疑う。
やがて容疑者として浮かび上がってきたのが、阿久礼(若松武)だった。阿久と節子は大学時代、同じ精神医学研究室に籍をおき、恋人同士だったこともある。しかし、ふたりは破局し、節子はやはり同じ研究室にいたトモオ(豊川悦司)と幸福な家庭を築いている。阿久は精神医学について過激な哲学の持ち主であり、現在は新興宗教にハマった人間を荒っぽい心理療法で引き戻すことを仕事としていた。ちらつく阿久の姿に、マインド・コントロールの恐怖を抱く節子。そんな矢先、今度はトモオまでが連続殺人の犠牲者となる。
監督の石井聰互は、インディーズ映画の黎明期において「高校大パニック」や「狂い咲きサンダーロード」という作品でカリスマ的な存在だった人物。当時、異常心理殺人に対する捜査法(犯行の再現など)や、犯人の意外性が新鮮に思えたこの「エンジェル・ダスト」だが、10年という時を経て改めて眺めてみると、そのプロットに既視感のようなものを感じてしまうのはやむをえないことかもしれない。
しかし、色褪せない部分もあって、その最たるものは、阿久礼役の若松武の不気味な演技だろう。若松の達者な演技は、芝居の舞台で目にしたことがあるが、映像作品への出演は非常に少ない。その得体の知れない存在感は、豊川悦司の色っぽさとともに、不思議な世界を構築している。なお、名曲「ふたりのシーズン」が実に効果的に使われている。[★★★]

エンジェル・ダスト [DVD]

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(以下ネタばれ)
犯人は、阿久に治療されていた武井ゆうき(滝沢涼子)だった。彼女は、阿久の逆洗脳によって、自分の中に眠る殺人願望を顕在させてしまったのだ。ゆうきは、節子も葬ろうとするが、寸でのところで阿久に阻まれ、彼のマインド・コントロールで自らの命を断ってしまう。