(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

〝テイキング・ライブス〟D・J・カルーソー監督(2004)

サイコ・スリラーの時代は終わった、という見方は今や一般的なものかもしれない。しかし、それは間違いである。異常心理を扱った小説や映画がもてはやされた一種のブームのような状態は、確かにすでに終焉を迎えた。しかし、かつてのブームを滋養としたサイコ・スリラーは、独立したひとつの分野としてエンタテインメントの世界にしっかりと根を降ろしている。
例えば、映画ではこの『テイキング・ライブス』のような作品が出てくる背景には、サイコロジカル・スリラーの定着という背景があるとみるがどうか。この映画は、前提としてのサイコ・スリラーを踏まえて製作されている。むろん、観客もそれを受け容れているものとして物語は始まる。
冒頭に、20年前のエピソードがある。家出をしたばかりの少年マーティンは、行きずりの友達を殺害し、彼に入れ代わる。それから場面は現代へと切り替わり、工事現場で発見された両腕を切断された死体をめぐり、モントリオール警察レクレア(チェッキー・ケイリオ)は猟奇事件の専門家をFBIに派遣要請する。到着したイリアナ・スコット(アンジェリーナ・ジョリー)は、独自のプロファイルングで犯人の捜査を開始する。
そんな矢先、スーパーの駐車場で新たな事件が発生した。目撃者である美術商のコスタ(イーサン・ホーク)は、犯人の似顔絵を描き、当局へ協力した。その頃、死んだ筈の息子を見た、というアッシャーという老婦人(ジーナ・ローランズ)から、警察に連絡が入る。息子の名はマーティンといい、残忍な性格の持ち主だという。連続殺人とマーティンの関係を疑うスコットは訪れた彼女の家で、隠し部屋を発見する。老婦人が不在の間に隠し部屋でマーティンのプロファイルを行うスコット。そんな彼女を謎の人物が襲撃する。
やがて、コスタを囮にした捜査が開始される。絵画の展覧会の最中に、コスタを襲った男(キーファー・サザーランド)は、警察の追尾をかわしたばかりか、その翌日、カナダへ出張しようとしていたコスタを再び襲撃する。男は、護衛の警察官を射殺し、車で逃走中に事故死を遂げる。DNA鑑定の結果、男は駐車場の殺人犯と一致する。かくして事件は解決し、スコットは、捜査を通じて恋が芽生えたコスタと関係を持つが…。
タイトルの『テイキング・ライブス』は〝命を奪う〟の意だが、連続殺人犯が次々に人を殺し、その人物に成り代わっていくことを指している。この点が本作のひとつの新機軸なのであるが、実は製作者側はもうひとつのカードを最後に向けて伏せている。それはネタばれをご覧いただくとして、サイコ・スリラー新世代としては、まずまず面白く作り上げた作品といえるのではないか。真犯人は誰かというレンジは、あまり広くはないのだけれど、テンポのいい物語の流れにスリルがあるし、サスペンスも上々。エンディングはこれしかないだろうという展開となるところに白ける観客もあるだろうが、手垢のついた切り札というわけでもなく、これはこれでこの物語に相応しいエンディングといえる。
主役のアンジェリーナ・ジョリーは、見事な肢体と美貌で、観る者を魅了する。とりわけ、癖のある唇がなんともセクシーだ。墓穴に横たわる登場など、わが国の「ケイゾク」のヒロインを思わせるところもあるが、それは考えすぎか。いわくありげなイーサン・ホークも、微妙な役柄を演じきっている。この2人の主役の存在感は、なかなかのもの。原作は、マイケル・パイ(徳間文庫「人生を盗む男」)で、それをジョン・ボーケンキャンプが脚本化している。監督は、D・J・カルーソー。同じ北米でも、アメリカではなくカナダだという舞台色をうまく出した作品に仕上げている。[★★★]

テイキング・ライブス ディレクターズカット 特別版 [DVD]

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(ネタばれ)
実は、犯人(すなわちマーティン)はコスタだった。彼は自分に向けられる嫌疑をそらすために、美術泥棒のパートナーに殺人の罪をなすりつけ、彼を殺した。しかし、病院のエレベーターで母親のアッシャー夫人の首を切り、殺害したところをスコットに目撃され、逃走。まんまと逃げ通す。その結果、犯人と情交を結んだことにより、スコットは懲戒免職となる。
それから7か月後、スコットは田舎町でひとり暮らしをしており、彼女のお腹は、大きく膨らんでいる。そこに訪ねてくるコスタ。彼は、子どものためにも、ふたりでやり直そうというが、彼女は拒絶する。怒ったコスタは、スコットの大きなお腹を鋏で刺す。しかし、膨らんだお腹は妊娠ではなく、ダミーだった。彼を返り討ちにし、レクレアへ電話をするスコット。すべては彼女の側(警察)の罠であった。