(その後の) a piece of cake !

今宵、すべての劇場で。

キングのようでキングじゃない 『BT’63』

作家は、よく化けると言われる。そういう瞬間に立ち会うことが、読者にとっては冥利だとも言う。池井戸潤という作家にとって、そういう節目は『BT‘63』(2003年6月、朝日新聞社刊)という作品ではなかったかと思っている。98年に「果つる底なき」で第四十四回江戸川乱歩賞を受賞し、世に出た池井戸潤だけれど、デビュー以来、経済・金融の世界の人という印象は、本人を含めてミステリ・シーン全体の認識として共通のものだったと思う。
誤解のないように言っておかねばならないのは、〝化ける〟と言っても、それはのほほんとした成長を意味するものではない。デビュー以来の池井戸潤の順調な活躍ぶりには、どちらの方面からも異論のないところだろう。冒頭の〝化ける〟とは、ひとつの殻を破るきっかけのようなもの。すなわち、大きなシフトへの予感という言葉に置き換えてもいいかもしれない。
物語の入口は、タイムスリップである。主人公の大間木琢磨は、5年前に死んだ父親の遺品の中から、フエルト地で金モールのついた制服を見つける。すると、不思議な記憶が甦ってきた。その制服を着て、宅配便の車を運転する男の姿、しかし当時宅配便というビジネスは存在せず、その記憶はある筈のないものだった。怪訝な思いで制服に手を通した主人公は、自分が一瞬にして昭和38年の父親の史郎になっていることに気づく。
帯に刷られた〝ブロックバスター〟の文字に偽りない大作で、全編にわたって昭和30年代後半、東京オリンピック直前の東京の姿がいきいきと再現されていく。非日常を描く物語としてスティ−ヴン・キングを連想させたりもするが、作者はあくまで固有名詞に頼ることなく、時代の空気を再現しようとしているところに、この作者のオリジナルな姿勢が十分に伺える。そのリアルさは、広瀬正の「マイナスゼロ」を彷彿とさせたりもする。若かりし日の父史郎が体験する仕事や恋愛をめぐって、物語は繰り広げられていくわけだが、それを追体験することによって、主人公も成長を遂げていく。ファンタスティックな成長の物語として出色の仕上がりだが、作者はそれと同時に高度成長期という時代の闇をも照らし出していく。
一部の人物描写に戯画的な部分があるなど、好みを分ける要素もあるが、とりあえずはこの作品で見せた飛躍は、池井戸潤の作家人生には強力な拍車がかかることは疑いのないところだろう。あとは、出版社から、既成の作風に拘らないオーダーが寄せられるか、にかかってくるのではないかと思われるが、その辺は正直心元ない。一昨年の年間ベストテンでの評判がいまいちだったのも、心配な要素だ。リリースからもう一年半が経つが、広くエンターテインメント界全体に再注目を望みたい作品である。

BT’63

BT’63